エアバスA310
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A310シリーズには2つの旅客型、貨客コンバーチブル型、旅客型からの改造による貨物専用型、さらに、軍や政府向けの多目的輸送機・空中給油機エアバス A310 MRTT)が存在する。最初に登場したA310-200は短・中距離路線向けに開発された旅客型であり、1983年にルフトハンザドイツ航空スイス航空によって初就航した。1985年に初就航したA310-300は、機体寸法はA310-200と同じだが複合材料の採用拡大による機体軽量化、水平尾翼内への燃料タンク増設、燃料移送による機体重心制御の導入などにより最大航続距離性能が強化された。

A310の就航当初は、欧州域内を結ぶ路線や欧州と中東北アフリカを結ぶ路線を中心に用いられた。1980年代後半になると、ETOPSと呼ばれる双発機の長距離飛行に関する緩和要件が認められ、欧州と北米を結ぶ大西洋横断路線や、欧州と日本を結ぶ長距離国際線でも運航されるようになった。冷戦終結後には、旧東側諸国でも採用され、1991年に西側諸国製の旅客機として初めてロシア型式証明を取得した。1993年には中古のA310を貨物専用機へ改造する事業が始まった。1998年に初飛行した255号機を最後にA310の生産は途絶え、エアバスは2006年に生産終了を正式発表した。2014年4月までに、A310の機体損失事故は12件発生し、その内の8件は死亡事故である。

本項では以下、エアバス製旅客機およびボーイング製旅客機については社名を省略して英数字のみで表記する。例えば、「エアバスA300」であれば「A300」、「ボーイング767」であれば「767」とする。
沿革
開発の背景1974年のファーンボロー国際航空ショーで飛行するA300。A300はエアバス・インダストリーが最初に開発した製品で、エールフランスによって初就航した[4]

アメリカボーイング社やダグラス社(後のマクドネル・ダグラス社)に販売面や資金力で大きく先行されていたヨーロッパの航空機メーカーは、1970年12月に企業連合「エアバス・インダストリー」を設立し、世界初の双発ワイドボディ機となるA300を開発した[5][6]。A300の納入は1974年5月に始まり、エールフランスによって商業運航が開始された[4]。当初、A300の販売は苦戦したが、1977年に40機の注文を獲得して状況が好転し、翌年にはイースタン航空からの受注により念願の米国進出も果たした[7][8]。事業存続の見通しが立ったエアバスは、製品ラインナップの拡充を本格的に考え始め、市場調査に取りかかった[7]。1960年代には航空輸送需要は当分拡大し続けるとの見方が一般的だったが、1973年のオイルショックなどをきっかけとして、ジェット旅客機の需要は急減速していた[7]。一方で、1980年代になれば707727ダグラスDC-8などの退役が始まり、後継機として座席数200席強の短・中距離路線向けの旅客機需要が高まると予測された[9][7]。エアバスではA300の発展版としていくつかの機体案を検討していたが、その一つにA300B10と名付けられた胴体短縮型があり、先の市場予測で需要が見込まれる機体サイズに合致するものであった[7]。旅客機の発展型の開発において、胴体延長型の成功例に対して短縮型の事例は少なかったが、エアバスは市場調査の結果を踏まえ、胴体短縮型の開発に乗り出すことにした[7][10]

A300B10の当初案では、胴体を単純に切り詰めるだけで、開発経費を抑えるために主翼やシステム類はA300のものをそのまま用いるとされた[9][11][12]。しかし、当時、A300B10と同じ市場を狙って、ボーイングが全くの新規開発となる双発ワイドボディ機「7X7」(のちの767)の研究を行っており、エアバスはこれに対抗するため、新型機構想にできるだけ新しい技術を盛り込むことにした[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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