「ウール」のその他の用法については「ウール (曖昧さ回避)」をご覧ください。
哺乳類のトップコート(外側の硬い毛)の下のアンダーコート(体表に近い柔らかい毛)がウールである。刈り取られたウール
ウール (英: wool) は、哺乳類の、厚くて、柔らかくて、波状や巻き毛のアンダーコート[注釈 1]であり[1]、典型的には、羊のアンダーコートである[1]。ケラチン繊維のマトリックスから構成される[1]。また、その毛で作った製品[1](ウールの毛糸、毛織物など)。 ウールの中でも、特に生産量が多く代表的なのは羊毛(羊の毛を原料としたウール)であるが、その他にも、ヤギの毛を原料とするモヘヤやカシミヤ、ウサギの毛を原料とするアンゴラ、アルパカの毛を原料とするウール("アルパカ")などもある(それらの多くは、羊毛よりも高級品として扱われている)。→#動物の種類 羊毛がウールの代表であるので、本記事では羊毛を中心に説明するが、その他、ヤギ・ウサギ・アルパカなど他の哺乳類のウールについても本記事で説明する。 広義には、上述の毛をつむいだ毛糸や、毛糸を織った毛織物などもウールと呼ばれる[2]。 ウールは動物繊維のなかの代表的存在であり、動物繊維のなかで最も多く使用されている[2]。ウールはスーツやコートの服地、セーター・ストール・マフラー・帽子など防寒具や服飾品、防寒具・寝具・緩衝材として使われる毛布、またカーペットやカーテンなどのインテリア品、多用途の羊毛フェルトなど、多様な品の素材として使われている。 羊はかなり昔から飼育されていた。メソポタミア南部の南部、シュメールの石膏製のトラウ(細長い飼い葉桶)にレリーフで描かれた羊。紀元前3200年頃のもの。 アナトリア南東部のタウルス山脈で、今から10,500年前の家畜化された羊の証拠が見つかっており、現在のところ、これが羊が最初に家畜化された場所と推定されている[3]。 人類がまだ羊の毛を刈ってそれを使うという方法を思いついていなかった段階では、羊の毛皮を衣服として身にまとっていた。[4]メソポタミアの初期王朝時代
概説
歴史
歴史学者は、古代メソポタミアの人々が羊の毛を刈ってそれから服を作ることができると発見した、と考えている[4]。これは偉大な発見であった。というのは、この方法なら羊を殺さずに服を手にいれることができ、おまけに同一の羊が毎年新たに羊毛をもたらしてくれる可能性があるのだから[4]。メソポタミアの人々は、最初はウールを紡いだり織ったりしなかった。もしかするとそういうことを考えもしなかったのかも知れない[4]。彼らは最初、ウールをフェルトの形で使った[4]。その後、紡いで織って毛織物として使うようになり、それがメソポタミアにとって重要な産品となり、東はインド亜大陸、西は地中海世界、南はアフリカ大陸との貿易が行われた。[4]
ディルムンに向けてウールと銀を出荷した記録。紀元前2350年頃。
使用人に対してウールを支給した記録。紀元前626年?605年頃。
ウールや衣類の受領についての経営記録。紀元前600年頃。
ウールの染色に関する手引書。紀元前600年-紀元前500年頃。
古代ローマではウールは一番大切な繊維だった。家族のためにウールを紡いで糸をつくり、それを織ってウールの衣類を作ることは古代ローマの女性全員の義務であり、それを行うことは、美徳と女性らしさの象徴であった[5]。ローマの女性たちの墓石にはしばしば、誇らしげに「私は家を守った」や「私はウールの仕事をした」などの文言が刻まれており、さらに杖、紡錘、ウールのかご、ウールを紡いだ毛糸の玉のレリーフが墓石を飾っていることもよくある[5]。