ウルフルズ
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バンド名は、LPレコードのジャケットの帯に記載された「ソウルフル」の文字が、改行により「ウルフル」と読めたことに由来している[3]

1990年6月に東京での初ライヴ。1992年5月13日東芝EMIの東芝レコードレーベル(後に同社キャピトル・レコードレーベルへ移動)からシングルやぶれかぶれ」でデビュー。6月17日ファーストアルバム爆発オンパレード』をリリース。売上げが伸びず、しばらく迷走状態となるが、1994年、プロデューサーに伊藤銀次を迎え、少しずつ認知度を上げて行く。

1995年11月、専修大学学園祭で演奏。同年10月デビューのTHE HIGH-LOWSの前座をつとめる。

1995年12月、9枚目のシングル「ガッツだぜ!!1996年2月、続く10枚目のシングル「バンザイ ?好きでよかった?」、1月発売、3枚目のアルバム『バンザイ (アルバム)』をリリース。アルバム『バンザイ』は100万枚を超える累計売上を記録。同年、NHK紅白歌合戦初出場。その際「『ガッツだぜ!!』の歌詞の一部が卑猥だ」として歌詞を変えるか否かが問題となり、最終的に一部分のみを変更した。同年、第34回ゴールデン・アロー賞音楽賞を受賞。

1999年ベーシストジョン・B・チョッパーが脱退、作家に転身。3人編成となる。

2001年、「明日があるさ」をリリース。同年、吉本興業Re:Japanとのコラボレーションで再び紅白歌合戦に出場。

2002年ウルフルズ10周年5時間ライブ!! ?50曲ぐらい歌います?』に、脱退していたジョン・B・チョッパーが出演。2003年6月1日日比谷野外音楽堂にて行われたフリーライブにて正式に復帰、再び4人編成となった(ジョン・B脱退時、ライブやレコーディングを支えていたベーシストは、順にCHIROLYN、上野イチロー、高橋"Jr."知治の3人。2000年以降2009年まで、ライブはキーボード伊東ミキオを加え、5人で行っている。一部イベントやライブを除く。大々的に一般募集もし、かなりの応募があったが適役がいなかったとのこと。)

2003年に発売された「ええねん」は関西では「この年の日本シリーズで日本一を逃した阪神タイガースのファンの気持ちを代弁する曲」としても受け入れられたという見方がある[4]。もっとも、この曲が完成したのは阪神タイガースがリーグ優勝を決める2か月近く前のことである。「ええねん」は地元大阪のラジオ局FM802OSAKAN HOT 100ではJ-POPとしては最長の9週連続1位を記録した。

2007年1月1日ワーナーミュージック・ジャパンに移籍。同時に同年発売するシングル「情熱 A GO-GO」の歌詞を発表した。

2009年7月9日、公式サイトにて同年8月29・30日開催の野外コンサート「ヤッサ!」をもって活動休止とすることを発表。翌日、六本木ヒルズアリーナにて、フリーライブがおこなわれた。

2014年2月25日、公式サイトにて活動再開のアナウンスが発表され、配信限定シングル「どうでもよすぎ」を配信開始、さらに、6年半ぶりの全国ツアーと5年ぶりの野外コンサート「ヤッサ!」の開催が決定された。この頃よりサポート・キーボードに浦清英を迎えている。11月20日、GQ MEN OF THE YEAR 2014を受賞[5]

2016年2月28日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」で「ロッキン50肩ブギウギックリ腰」が「BEST CHOREOGRAPHY VIDEO(もっとも優れた振り付けのミュージックビデオに授与される賞)」を受賞[6]

2018年2月19日、ウルフルケイスケホームページで、ケイスケがソロ活動に専念するため、ウルフルズとしての活動を休止すると発表[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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