ウルドゥー語
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ウルドゥー語はインド亜大陸のイスラム教徒のリングワ・フランカであり[1]、ウルドゥー語母語話者の80%はインドに分布している。パキスタンはウルドゥー語を国語としているが、ウルドゥー語(ヒンドゥスターニー語)が母語として使われていた地域からはやや外れており、ウルドゥー語を母語とするのは全人口の1割未満である。また、ウルドゥー語を唯一の公用語としているジャンムー・カシミール州では、ウルドゥー語母語話者は人口の1%にも満たない。これらの国や地域では、ウルドゥー語はイスラム教のシンボルとして、また現地で話されている諸言語に対する中立な共通語として使われていた。
歴史

12世紀・13世紀頃から西北インドへのイスラム教徒(ガズナ朝)の侵入が盛んになると、デリー周辺で用いられていたカリーボーリー方言にペルシャ語やアラビア語の語彙を取り入れてできたという。当時はアラビア文字を改良して使われ、「ウルドゥー」ではなく「北インド」を意味する「ヒンディー」とか「ヒンダヴィー」と呼ばれていた。14世紀以降、デカン高原にイスラーム王朝(トゥグルク朝)が建てられると、それらの王朝内でもこの新しい言語が使われ、さらにその地域のマラーティー語ドラヴィダ系の言葉の影響を受けて発達した。その地域は南方にあったので「南部の」という意味を持つ「ダッキニー」と呼ばれ、叙事詩や叙情定型詩のガザルもこのダッキニーで書かれはじめた。

16世紀の初めにムガル朝が成立するが、宮廷語のペルシャ語と同時に民間ではヒンディー語が話され、第5代のシャー・ジャハーンの時代には「ザバーネ・ウルドゥーエ・ムアラーエ・シャージャハーナーバード」(シャージャハーナーバードの高貴な陣営の言葉)という呼び名を得るほど発達した。18世紀以降ムガル朝が衰退するにつれて、「陣営」の意味を持つ「ウルドゥー」という短い呼び名となって、宮廷でも使われるようになる[2]
文字詳細は「ウルドゥー文字」を参照

表記には、ペルシア文字に特殊な音を表すためにいくつかの文字を加えたものである「ウルドゥー文字」を用いる。ただし、インド国内のムスリムデーヴァナーガリー文字を用いる場合があり、この場合ヒンディー語との境界はより一層不明瞭となる。ヒンディー語話者との文通の際などには、ラテン文字を用いる。
音韻

子音[3]唇音歯音歯茎音そり舌音硬口蓋音軟口蓋音口蓋垂音声門音
鼻音m ?n ?? ?
有気音m? ??n? ??
破裂音/
破擦音無声音p ?t? ?? ?t? ?k ?q ?? ?
無声音 有気音p? ??t?? ???? ??t?? ??k? ??
有声音b ?d? ?? ?d? ?? ?
有声音 有気音b? ??d?? ???? ??d?? ??g? ??
はじき音/
ふるえ音r ?? ?
有気音r? ???? ??
摩擦音無声音f ?s ?? ?x ?h ?


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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