ウルトラシリーズ
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同書を定本に、1982年から1995年まで「不滅のヒーロー ウルトラマン白書」が第4版まで出版されたが、これには従来通りの論評が再録されていた[7][注 3]

しかし、1990年代後半に辰巳出版から出版された「検証・第2次ウルトラブーム」と銘打つ作品別の書籍では、第1期ウルトラシリーズを基準に捉えた前述の論調に対する反論として、各作品の持ち味や当時の時代・社会背景などを考慮した再評価や再検証が行われた。
昭和第3期ウルトラシリーズ
ザ☆ウルトラマン
1979年4月4日 - 1980年3月26日放送。全50話(アニメ作品)。
ウルトラマン80
1980年4月2日 - 1981年3月25日放送。全50話。

『レオ』終了と同時にウルトラシリーズは再び幕を下ろしたが、1970年代後半に書籍類でのウルトラシリーズ評価が皮切りに、首都圏での早朝再放送などの「ウルトラマンフィーバー(当時の流行語をもじったもの)」を受け、新たに制作されたのが本シリーズである[8]。関西圏では第1期・第2期ウルトラシリーズと異なり、1975年3月31日のNETテレビ系列とのネットチェンジによって、ABCに代わってネット局となった毎日放送で放映された。

『ザ☆マン』の壮大なストーリーや『80』のハイレベルな特撮映像や学園ドラマの導入など新たな要素はあったものの、視聴率および商品展開では期待を大きく下回る形となり、TBSとの共同制作によるウルトラシリーズはここで完全に終了した。

上述の通り、『Q』から『80』はTBSが制作を担当し、基本的に同じ作品世界の設定であることから、一括りのシリーズとして扱われるケースが多い。ただ、『ザ☆マン』はアニメーション作品であることや、ほかの8作品とも世界観を共有していないことから、本放送終了以降は関連書籍での作品紹介や商品展開などで、番外的な扱いを受けているケースもある。

『80』終了後、1996年に『ウルトラマンティガ』が開始されるまで、テレビシリーズは16年間も制作されなくなり、映画やオリジナルビデオといった多様な展開が行われ、シリーズの区切りが不明確になる。そのため、「第○期」という区分は商業誌などの公式記事には使用されなくなった。

テレビシリーズが制作されなくなった理由について、円谷プロダクション社長を務めた円谷英明は、『80』をめぐる円谷プロとTBSとの関係悪化によって放送枠が確保できなくなったことや、円谷プロの経営悪化に伴って製作部が解体され、さらには著作権収入が安定したことなどで新作制作に消極的になったことなどを挙げている[9]
ウルトラマンキッズ(アニメ)
ウルトラマンキッズ M7.8星のゆかいな仲間
1984年3月17日公開。
ウルトラマンキッズのことわざ物語
1986年4月16日 - 11月19日放送。
ウルトラマンキッズ 母をたずねて3000万光年
1991年11月17日 - 1992年5月24日(NHKBS2NHK教育)。詳細は「ウルトラマンキッズ」を参照
日本国外制作展開
ウルトラマンUSA
1988年にアメリカでテレビ放映。1989年4月28日に日本で劇場公開。アニメ作品。
ウルトラマンG
1990年9月 - 1991年5月ソフト発売。全7巻(全13話)。オーストラリアとの合作によるオリジナルビデオシリーズ。1995年7月8日 - 9月30日放送[注 4]
ウルトラマンパワード
1993年12月 - 1994年8月ソフト発売。全7巻(全13話)。アメリカとの合作によるオリジナルビデオシリーズ。1995年4月8日 - 7月1日放送。エンディングテーマがビデオ版から変更されている。

国際マーケットを視野に入れた円谷皐円谷プロ社長(当時)の意向によって、テレビシリーズが長期休止期間であった1980年代から1990年代中ごろまで、日本国外の資本との提携・合作によるビデオシリーズや劇場用新作など、テレビ以外の媒体で多くのウルトラマンが登場した。これら作品はビデオ展開のみならず後に放映枠を与えられ、久々のテレビシリーズである『ティガ』以前にテレビシリーズの放映が行われている。

上記の作品群はM78星雲の存在など設定上は過去のウルトラシリーズと共通項を持つが、作品内では世界観の共有がさほど意識されていない。
平成ウルトラセブン
ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦
1994年3月21日テレビ放送。
ウルトラセブン 地球星人の大地


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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