日本では、1919年に八重山列島で初めて存在が確認され、その後も1929年に宮古列島、1970年に久米島、1972年に沖縄本島、1973年に与論島と沖永良部島、1974年に奄美群島、1977年に大東諸島と分布が拡大していった[2][4]。
ウリミバエはウリ類などの農作物に深刻な被害を発生させる[4]。日本生態学会では、本種を日本の侵略的外来種ワースト100に選定している。これ以上の分布拡大を阻止するため、植物防疫法によって発生地から本種の寄生植物の移動が規制されている[2]。
ウリミバエを防除する方法として、不妊虫放飼と呼ばれる手段がとられた。これは、羽化2日前にガンマ線を照射して不妊化した飼育個体を大量に野外へ放虫し野生個体の繁殖を阻止する方法で、個体数を減らし、最終的に根絶を目指すものである[2]。繁殖力が高く、世代交代が早いハエ類だからこそ効果を発揮する方法で、ウリミバエに対するこの技術はマリアナ諸島で1963年に確立された[2]。不妊雌は繁殖能力がないものの、交尾行動は正常に行う[4]。また、不妊雌は産卵管を果実に挿入して被害を出すことは極めて少ない[2]。
しかし、マリアナ諸島での根絶以後は世界50の地域で試されたものの、一度も成功していなかった。原因は個体数の把握ができなかった事にあり、そこで採用されたのがマーキング法(一区画に仕掛けられたトラップに入ったマークしたオスと野生のオスの割合に基づき、その区画の個体数を割り出し、最終的に島全体のウリミバエの数を推定する)と呼ばれる調査方法である[5]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}その結果、実験地に選ばれた久米島では約250万匹のオス(メスも同数として約500万匹)が生息しているのをはじめ、沖縄全体では最終的に3億匹まで増殖した。[要検証 – ノート]
不妊虫の生産は石垣島にあった増殖施設で始められ、当初は週100万匹の生産だったが、後に大規模な増殖工場が建設されて[5]週に1-2億匹を生産できる体制を整えた。久米島ではバケツに入れた蛹が羽化して放飼する方法を採ったが、沖縄諸島等では米軍基地の敷地内を含め、ヘリコプターなどを使って週に250-400万匹が放虫された[2]。
その結果、1978年(昭和53年)に久米島、1987年(昭和62年)に宮古群島で根絶が確認され、さらに沖縄群島でも根絶が確認されて1990年(平成2年)に沖縄群島ウリミバエ根絶記念式典が開催された[6]。沖縄県全域での根絶が確認され、1993年10月30日に沖縄県ウリミバエ根絶宣言が発表された[4][6]。
根絶までの累計放虫数は625億匹[3]、経費は全体で204億円に上る[2]。これによりゴーヤーの本土への出荷が可能になった。根絶に成功した現在でも、再侵入の危険性が高いと予想される地域では、不妊虫放飼が継続されている[4]。
2001年(平成13年)11月13日、このウリミバエ根絶の様子を描いたNHK「プロジェクトX?挑戦者たち?」「8ミリの悪魔 VS 特命班 ?最強の害虫・野菜が危ない?」が放映された。
脚注[脚注の使い方]^ a b c “ウリミバエ
典拠管理データベース: 国立図書館
⇒イスラエル
日本