ウラマーは他の宗教の聖職者のように他の人間よりも神に近い存在ではない。
ウラマーはキリスト教の神父や仏教の僧侶など他宗教の聖職者のように妻帯禁止や聖職者だけの制限を課されることは無い、宗教的な義務や禁忌は全ての信者が同じように守らなければならない。このため、ウラマーは妻帯して子供を残しており、世襲も珍しくない。クルアーンやスンナを学ぶことは全ての信者に対して科された努力目標であり、ウラマーだけが経典を学ぶことも無い。 ウラマーは、法解釈が分かれ始めたアッバース朝のころから、社会的影響力を強めていった。支配者側はウラマーの理論的支柱を必要とし、またウラマーも支配者の保護を必要としたため、相互依存的関係は多くの時代、多くの国で保たれた。 ウラマーたちの努力によりイスラーム諸学の完成度は高まった。しかし民衆からイスラームを乖離させ、スーフィズム誕生のきっかけとなった。ウラマーは神秘主義者達がシャリーアを無視していると厳しく批判したが、勢力を拡大していくスーフィーを止めることはできなかった。神学者ガザーリーがスーフィズムを伝統的な教義の枠組みに再定義したことの影響もあり、批判は次第に鳴りを潜めていく。 近代化以後、教育機関や官職を新しい国家機関が制定したことにより、ウラマーは仕事を失った。しかしイスラム圏における精神的影響力はいまだ健在である。イラン革命におけるルーホッラー・ホメイニーなどが良い例であろう。 実際のウラマーの職業は、学者、マドラサの教師、カーディー(イスラーム法廷の裁判官)、モスクの管理者などである。 都市間でのウラマー同士のつながりは、人や物の交流を促した。イブン・バットゥータの大旅行はその一例である。
変遷
イスラームにおける役割
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「学んだもの」の意。具体的には、アラビア語の「知る」(??? ?alima)の能動分詞「知る者」(???? ??lim)の複数形である。通常、集団として扱うため術語として現地でも欧米でも我が国でも複数形のウラマーを用いる。
出典^ Brown, Jonathan A.C.