この名称は「東方を支配する町」を意味するが、その通りウラジオストクはロシアの極東政策の拠点となる軍事・商業都市であった[注釈 2]。これは、ロシアの古い都市ウラジーミル(公・大公の名に由来)に範を取った名称であるためであり、ほかにも同時期に作られたウラジカフカス(カフカースを支配する町)などがある[7]。また、しばしば「東方を支配せよ(Rule the East)」、「東方の支配者(Lord of the East)」、「東方の覇者(Conqueror of the East)」とも解釈される[8]。
日本語のカナ音記ではさまざまな表記が見られるが、ウラジオストク、ウラジオストック、ヴラジヴォストーク、ヴラヂヴォストーク、ウラディヴォストーク、ヴラヂヴォストーク(ソビエト科学アカデミーによる公式な日本語表記)、ウラジヴァストークなどが挙げられる。
上述の通り、本来のロシア語での造語としてはウラジ・オストク(ヴラディ・ヴォストーク)が正しいのであるが、日本ではたびたびウラジオ・ストクと異分析され、明治時代以降浦塩斯徳(または浦潮斯徳)と当て字された。通称は「浦塩(浦潮)/ウラジオ」と略され、気象通報でも以前は「ウラジオ」と呼称されていた。
中国語では清国の領土だった時代の呼称である海参?と表記される他(後述)、ロシア語名の音訳である符拉迪沃斯托克の表記も使われる。 ウラジオストク市は沿海地方南部のピョートル大帝湾の南にあり、平地が少なく坂の多い港町である。日本海に突き出したムラヴィヨフ・アムールスキー半島(長さ30キロ、幅12キロ、ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーに由来する)南端部の北緯43度7分、東経131度51分に位置し、ロシア海軍の太平洋艦隊の基地が置かれる軍港都市でもある。ウラジオストクの衛星画像 丘陵上の市街に囲まれるようにして金角湾が半島に切れ込んでおり、天然の良港になっている。街の中心部は金角湾の奥にある。南には東ボスポラス海峡をはさんで軍用地や保養所などのあるルースキー島が浮かぶ。 ウラジオストクを含む沿海地方やハバロフスク地方は、19世紀末からウクライナ人の入植者が多く、緑ウクライナとも呼ばれていた。現在はロシア系とウクライナ系が大多数を占める。2010年の全ロシア国勢調査によると、ウラジオストクには70以上の民族が住んでおり、その中で最も多いのは475.200人のロシア人 、10,474人のウクライナ人、7,109人のウズベク人、4,192人の高麗人、2,446人の中国人、2,295人のタタール人、1,642人のベラルーシ人、1,635人のアルメニア人、1,635人のアゼリー人、その他1,252人。 調査によると、2002年以降、都市の民族構成が変化し、ウズベク人のシェアは14.4倍に増加し、中国人とタジク人のシェアは5.4倍、キルギス人は8.5倍、高麗人は1.6倍増加した。沿海地方の高麗人の半数以上は、ウラジオストクとウスリースクの2つの都市に居住している。沿海地方のウズベキスタン人の80%以上がウラジオストクに住んでいる。前述のように、ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人、タタール人の割合は減少している。また近年の建設ラッシュに合わせ、北朝鮮や中央アジア各地からの労働者が建設業などに携わっている。ロシア革命前後には日系人が6,000人ほど在住し日本人街が形成されていた。2011年現在、外務省へ届け出ている在留邦人(日本国籍所有者)は104人[9] にすぎない。 ロシア正教会が多いが、そのほとんどはソビエト連邦時代に共産主義の宗教否定により破壊され、ソビエト連邦の崩壊後に再建されたものである。
地理
民族構成
宗教施設
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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