ウマルハイヤーム_(競走馬)
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ケンタッキーダービー優勝から3週間後、ウマルハイヤームはベルモントパークで行われたセリ市に上場され、そこでカナダの製菓業者ウィルフリッド・ヴィヨーに26,000ドルで落札された[1]。新しい馬主のもと、ウマルハイヤームはプロスペクトハンデキャップ、ブルックリンダービー、ケナーステークス、サラトガカップ、トラヴァーズステークス、ハバディグレイスハンデキャップなどで勝利したほか、ピムリコオータムハンデキャップでは30ポンドのハンデキャップを課せられながらもトラックレコードで優勝している。

ウマルハイヤームの同期のライバルには、オーガスト・ベルモント2世の所有馬でありベルモントステークス優勝馬のアワーレスがいたが、ウマルハイヤームは同馬をブルックリンダービーやローレンスリアライゼーションステークスで破っていた。1917年10月18日にローレル競馬場で行われたジョン・R・マクラーレン記念ハンデキャップはこの2頭によるマッチレースとして行われ、ウマルハイヤームは1馬身差でアワーレスに敗れた[3]。後年の選考で、この年の最優秀3歳牡馬はウマルハイヤームとアワーレスが同時受賞している[1]

4歳になるとハンデキャップが嵩んだことから勝ちきれなくなったが、それでもマリーンズリバティボンドハンデキャップを優勝、翌年1919年もレンナートハンデキャップで優勝している。

引退後は種牡馬となり、1920年からクレイボーンファームで繋養され、その後1929年にバージニア州シャーロットビルのJ・P・ジョーンズ牧場に移り、1938年に没するまで同地で暮らした[1]。種牡馬としての主な産駒には「アイアンホース」の異名で知られ185戦をこなしたマリシアス(Malicious 1927年生、?馬)、ウッドメモリアルステークス優勝馬ミスターハイヤーム(Mr. Khayyam 1930年生、牡馬)などがいる。
血統表

ウマルハイヤームの血統(血統表の出典)[§ 1]
父系マッチェム系
[§ 2]

Marco
栗毛 1892父の父Barcaldine
鹿毛 1878SolonWest Australian
Birdcatcher Mare
BallyroeBelladrum
Bon Accord
父の母Novitiate
鹿毛 1882HermitNewminster
Seclusion
RettyLambton
Fern

Lisma
栗毛 1907母の父Persimmon
鹿毛 1893St. SimonGalopin
St. Angela
Perdita IIHampton
Hermione
母の母Luscious
鹿毛 1894Royal HamptonHampton
Princess
AlveoleCrafton
Sainte Alvere
母系(F-No.)(FN:9-h)[§ 3]
5代内の近親交配Hermit 3x5, Birdcatcher Mare 4x5, Hampton 4x4, King Tom 5x5[§ 4]
出典^ [4], [5]
^ [5]
^ [4], [5]
^ [4], [5]



脚注^ a b c d e f g h i j k Avalyn Hunter. “ ⇒Omar Khayyam (horse)”. American Classic Pedigrees. 2021年5月21日閲覧。


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