ウディ・ガスリー
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この詩は10年後にマーティン・ホフマンによって曲がつけられ、この歌はそれ以来ピート・シーガーボブ・ディランザ・バーズドリー・パートンおよびウディーの息子のアーロ・ガスリーなどによってカバーされた。同時期に、やはり移民出稼ぎ労働者による闘争に共鳴して「実りの牧場」が書かれた。

1940年代後半、ハンチントン病の徴候が現れるようになるとガスリーの行動は非常に不規則になった。ガスリーは家族を捨て、ランブリン・ジャック・エリオットと一緒にカリフォルニア州に旅行し、そこで3度目の結婚をしてもう1人の子供をもうけた後、再びニューヨークに戻った。ガスリーはアルコール使用障害統合失調症を含む種々の病気と誤診の繰り返しののち、1954年についにハンチントン病(Huntington's Disease)と診断される。ハンチントン病は遺伝性の神経障害であり、母方の家系から遺伝されたものと思われる。病状は途中好転した時期もあるが、入退院を繰り返し、1967年10月3日クイーンズのクリードムーア精神病院で亡くなった。
功績

ガスリーの死までに、彼の作品は新しい聴衆によって発見され、その一部はボブ・ディランを通して紹介されていた。ディランは、ガスリーの人生の最後の年に彼を訪問して彼を「私の最後の英雄」だと描写した。後にディランは5ページの賛辞「ウディ・ガスリーについての最後の考え」を書き、そして彼が1962年に発表したデビューアルバムに「ウディに捧げる歌」を入れた。

1964年に、フィル・オクス(英語版)のデビューアルバム『オール・ザ・ニュース・ザッツ・フィット・トゥ・シング(英語版)(歌うに適するすべてのニュース)』に収録されたガスリーの自伝と同名の歌「バウンド・フォー・グローリー(栄光への途上)」は、ガスリーへの賛辞と、いっそう論争の的になっている(特に社会主義的な)ガスリーの歌詞を忘れることをより好んだ近代的な聴衆の間に広がる修正主義と無知に対する批判を含んだ。

1967年に妻マージョリー・ガスリーは支援を受けてハンチントン病と戦うための委員会を設立した。

1995年に、娘のノラはイギリスの歌手ビリー・ブラッグに、ガスリーが晩年に制作した歌詞を提供した。ブラッグはニューヨークのウディ・ガスリー・アーカイブにおいて歌詞を研究した後に、バンドWilcoと共に40のトラックを記録した。これらの一部は1998年のアルバム「マーメイド通り」と2000年の「マーメイド通り第2巻」で発表された。これらのアルバムはガスリーがマージョリーや家族と一緒に住んだコニーアイランドの通りから名前を取った。

彼女は同じくガスリーの未完成の歌の1つ「君が再び歌うのが聞こえる」の詞を使って歌を書くことをジャニス・イアンに話をもちかけた。イアンは、ガスリーの歌詞を若干変え彼女自身の歌詞もいくらか加えた上で、作曲を行なった。この歌は彼女の2004年のアルバム「ビリーの遺灰」で発表された。

ノラ・ガスリーは同じくパンクバンド、アンタイ・フラッグをアーカイブに招いた。その後、彼らは「Post-War Breakout」をカバーした。また「This Machine Kills Fascists」と呼ばれる歌を書いた。これらの努力はガスリーの音楽に新しい聴衆とファンをもたらした。ドロップキック・マーフィーズは、彼らの2003年のアルバム「ブラックアウト」の中で「今夜は灯火管制 (Gonna Be A Blackout Tonight)」と題を付け、彼の未発表の歌をカバーをした。

故郷オケマーのメイン・ストリートにある記念公園には、ガスリーの名誉を称える像が建てられた。またオケマーでは、各年夏に彼の業績を記念して、ウディ・ガスリー・フォーク・フェスティバルが開催されている。これは彼の姉妹メアリー・ジョー・エジモンによって設立されたウディ・ガスリー連盟によって主催されている。
ウディ・ガスリーを題材にした作品

映画『
ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(第49回アカデミー賞撮影賞、編曲賞受賞作品)

関連書籍

ヘンリエッタ・ユーチェンコウ『ウディ・ガスリー・ストーリー』
三井徹訳、ブロンズ社, 1973

エド・ロビン『わが心のウディ・ガスリー アメリカ・フォークの源流』矢沢寛訳、社会思想社, 1986

ヤネル・イエイツ『この国はきみの国 アメリカ吟遊詩人ウディ・ガスリー』矢澤(沢)寛訳、かもがわ出版 1998.1

脚注[脚注の使い方]^ 邦訳は中村稔・吉田廸子訳『ギターをとって弦をはれ』、晶文社、1975年

関連項目

ホーボー

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ウディ・ガスリーに関連するカテゴリがあります。

ウディ・ガスリー:秘蔵映像とリバイバル・ソングで綴るラディカルな人生 パート1 動画 日本語字幕付(デモクラシーナウ!ジャパン 2012.07.04)

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