当初、フェスティバルで行われた演出の多くは、好意的な評価を得ていた。特に、ジョージ・クリントン、ジャミロクワイ、ジェームス・ブラウン、リンプ・ビズキット、DMX、シェリル・クロウ、The Tragically Hip
、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどのパフォーマンスは、批評家からも賞賛された。[6][7]また、6年ぶりに同じステージへと立つメタリカとメガデスというラインナップも注目を集めていた。しかし開演が進むにつれて、急速に悪化する群衆と会場のほうが、より大きな注目と批判を集めるようになっていった。気温38℃以上という酷暑に加え、空軍基地の跡地で開催したため、地面は舗装されて照り返しが強く、木陰なども無かった。また、メイン会場となっていた東西2つのステージは2キロメートルも離れており、観客は高温となったアスファルトの上を徒歩で往復せねばならなかった[8]。こういった悪条件により、多くの観客は早い段階からイベントを楽しめなくなっていた。
さらに、会場内への水と食べ物の持ち込みが禁止されていたことで、観客は入場後に高額な商品を購入せねばならなかった。具体的には、「590mLのミネラルウォーター」が4ドル、「590mLの炭酸水」が4ドル、「ブリート」が10ドル、「ホットドッグ」が5ドル、「サンドイッチ」が5ドル、「25cmピザのシングルスライス(1/8枚分)」が12ドルなどであった[9]。(日本円では概ね「590mLのミネラルウォーター」が450円、「590mLの炭酸水」が450円、「ブリート」が1,120円、「ホットドッグ」が560円、「サンドイッチ」が560円、「25cmピザのシングルスライス」が1,350円に相当する[注釈 1]。)
一般の小売店へ買い物に行くには、混み合う循環バスで移動するか、長い道のりをひたすら歩くしか無かった。それでも、市内の店は品薄で商品が手に入らない状況だった[9][10]。会場内では噴水に水を求める行列ができ、順番待ちに耐えかねた人々は水を汲むために給水管を壊した。壊された給水管からは水が吹き出した[9]。それに加え、観客数に対して仮設トイレの数も不足していた。開演直後にはトイレが溢れ、併設された仮設シャワーも使用できなくなった[9]。そこへ、壊れた給水パイプから放出された水があふれた仮設トイレと混ざり合い、泥沼のようになった[11]。ドキュメンタリー『Woodstock 99: Peace, Love, and Rage』で、参加者の一人が語ったところによると、参加者たちは人糞が混ざっていることにも気づかず、ただの泥だと思ってはしゃいだとされている[11][注釈 2]。 7月24日(土)の夜、暴徒化した一部の観客によって合板が引き裂かれた。これが、最初の暴力的な行為と考えられている[8][12][13][14][15]。この時、ステージ上で「Break Stuff」を演奏していたリンプ・ビズキットのボーカリスト、フレッド・ダーストは「誰も傷つけないように…」と観客に自制を訴えかけた[12]。翌日、前夜の暴力的行為を受けて、キャンドルライトの祈祷会の開催を考えた反銃暴力団体が、観客にキャンドルの配布を行った。 7月25日(日)の夜、東のステージではレッド・ホット・チリ・ペッパーズが、西のステージではメガデスが、それぞれ演奏を行うコンサートの最終盤になると、観客は昼間に配布されたキャンドルを灯し始めた。また、剥がされたフェンスや合板で焚き火をする者も現れた[16]。大トリをつとめたレッド・ホット・チリ・ペッパーズの演奏中には一部の観客が暴徒化し始め、会場内に複数の火の手が上がった。暴徒は一層激化し、銀行ATMや商業施設の販売ブースでは略奪が行われた。また、地面に放たれた火は、捨てられた大量のペットボトルに引火し、東西両ステージに大きく燃え広がった[17]。
暴力