ウズベキスタンの少数民族としては、1937年から1938年にかけて、ヨシフ・スターリンにより極東ソビエトの沿海州から中央アジア地域へと強制移住させられた朝鮮民族が約20万人ほど在住しており、「高麗人」と自称している。また、ドイツ系のヴォルガ・ドイツ人やアルメニア系のウズベキスタン人もタシュケントやサマルカンドなどの都市部に多い。全人口の約88%がムスリム(ほとんどがスンナ派であり、シーア派は5%となっている)であり、東方正教会信者が9%、その他が3%となっている。アメリカ国務省による2004年の報告によると、0.2%が仏教(ほぼすべてが高麗人)を信仰している。ブハラ・ユダヤ人は1000年以上前に中央アジアへと移り住んできたユダヤ人の民族集団であり、主にウズベキスタンに居住している。1989年時点では94,900人のユダヤ人がウズベキスタン国内に住んでいた[59](全人口の約0.5%に相当)が、ソビエト連邦崩壊後ブハラ・ユダヤ人の多くはアメリカ合衆国、ドイツ、イスラエルといった他の国々へと出国、2007年時点で残っているブハラ・ユダヤ人の数は5,000人にも満たない[60]。
ロシア系ウズベキスタン人は全人口の約2.1%を占める。ソビエト連邦時代にはロシア人とウクライナ人が首都タシュケントの全人口の半数以上を占めていた[61]。1970年の調査結果によると、全人口の12.5%に当たる約150万人のロシア人が国内に住んでいた[62]。ソビエト連邦崩壊後、ロシア系の人々は主に経済的な理由からその多くが他国へと移住していった[63]。
1940年代のクリミア・タタール人追放(クリミア・タタール語: Q?r?mtatar surgunligi)で、クリミア・タタール人はドイツ人、チェチェン人、ギリシア人、トルコ人、クルド人、その他の民族とともに中央アジアへと強制移住させられた[64]。約10万人のクリミア・タタール人が現在もウズベキスタン国内に居住している[65]。タシュケントにおけるギリシア系ウズベキスタン人(英語版)の数は1974年の35,000人から2004年には12,000人にまで減少している[66]。メスヘティア・トルコ人の大多数は1989年6月にフェルガナ盆地で起きたポグロムの後他国へと出国した[67]。
少なくともウズベキスタンの労働者の10%が国外へと流出しており、そのほとんどがロシアやカザフスタンで働いている[68]。
ウズベキスタンの15歳以上の識字率は100%(2016年の推定)[56]であり、これにはソビエト連邦時代の教育制度が大きく影響していると考えられている。
言語「ウズベキスタンの言語」も参照
言語話者(ウズベキスタン)
ウズベク語 74.3%
ロシア語 14.2%
タジク語 4.4%
その他 7.1%
公用語はウズベク語のみと制定されている[56]。ウズベク語はラテン文字表記だが、キリル文字での表記も行われている。
ウズベク語母語話者は全体の74.3%を占めるにすぎず、その他ロシア語、タジク語が使われている。ソ連時代まではロシア語も公用語とされていたが独立後に外された。しかし、ロシア語は全人口の14.2%に当たる人々が第一言語として使用しており、その他の人々もその多くがロシア語を第二言語として使用しているなど異民族間の共通語・準公用語的な地位にある。
サマルカンドやブハラ、シャフリサブスなどのウズベキスタン南部地域、フェルガナ盆地地域、シルダリヤ川沿岸地域ではタジク語が広範囲にわたって話されており[5]、タジク語圏地域となっている。