バフェットの生活は、基本的にお金を使わず、1958年に31,500ドルで購入したオマハの郊外の住宅に今でも住んでいる。バフェットは、バークシャー・ハサウェイから「報酬」として、年間10万ドルを受け取り暮らしている[17][18]。バークシャー・ハサウェイは、バフェットが経営権を握って以来「無配当」を貫いているため、バフェットは同社から配当金は貰っていない。
2006年6月に、バフェットは資産の85%に当たる約374億ドルを、5つのフィランソロピーに寄付すると発表した。これはアメリカ史上最大の金額であり、寄付はバークシャー・ハサウェイのB株の形で、寄付残額の5%ずつ毎年支払われる。寄付のうち約310億ドル(当時B株1000万株)は、2004年からバークシャーの社外取締役を務める[19][20]親交の深いビル・ゲイツが関わるビル&メリンダ・ゲイツ財団に[21]、残りは4つの財団に寄付される[22][23]。
2020年代に入ってからも石油などの化石燃料への投資を続ける[24]など、バフェットが気候変動対策や、多様性に否定的な考えを持っていることが一部から批判の対象になっている[25]。
2024年1月に行われたバークシャー・ハサウェイの株主総会では、株主からの職場の多様性、公平性、包摂性を促進する取り組みに関する情報開示強化を求める提案、保険事業とエネルギー事業に温室効果ガス排出量など気候変動への取り組みについて情報開示の強化を求める2つの提案のいずれも拒否した[26]。バフェットはバークシャーの議決権31%を握っているため、彼が反対する提案を承認するのは難しい。 バフェットは1930年にネブラスカ州オマハでユグノー系のハワード・バフェットとレイラ・バフェットとの間に生まれた。バフェットは幼いころからビジネスを始めていた。祖父からコーラを6本25セントで購入し、それを1本5セントで売ったり、ワシントン・ポストの配達のアルバイト、ゴルフ場のボール拾い、競馬の予想新聞の販売などを行っていた[27]。 バフェットは、11歳の時に初めて株券を購入した。姉のドリスと共にシティ・サービス
経歴
生い立ち
買った時の株価に拘ってはいけない。
よく考えることなく小さな利益を得ようと急いではいけない。
他人のお金を使って投資するのは慎重でなくてはならない。
証券会社を営む父が、1942年に下院議員に当選したためワシントンD.C.に引っ越したが、当時12歳のバフェットは新しい生活になじめず、祖父の家からオマハの学校に中学2年まで通うことになった[29]。1943年に自転車を仕事の経費として控除し、13歳で初めて所得税を申告した[30]。