ウォルドルフ=アストリア
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オープン当初から、ニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして内外に知られ、ニューヨーク市を訪れる歴代アメリカ大統領[1][2]国王などの元首クラスの賓客が数多く宿泊してきたホテルとしても知られている[3]冷戦時代にアメリカと対立したソ連ニキータ・フルシチョフ[1]キューバフィデル・カストロ[4]パレスチナ自治政府ヤセル・アラファト[5]も訪れ、国連やニューヨークにやってきた各国政府の首脳会談や大企業のカンファレンスなどが頻繁に行われるマンハッタンを代表するランドマークのひとつとなっている。なお、アメリカを公式訪問した日本昭和天皇や歴代首相も宿泊している。政治家王族セレブリティだけでなく、アラブの石油王やバブル崩壊前の日本の裕福なビジネスマンなど海外の富豪も好んで宿泊し[6]1954年から2年ごとに上流階級が集まるインターナショナル・デビュタント・ボール(英語版)は世界で最も権威があるデビュタントボールとされ[7][8]、富と権力と名声の象徴であった[9][10]

アメリカ同時多発テロ事件の翌年の2002年には、同事件で「主要な目標となったニューヨークを支援する」という目的で初めてニューヨークで開催された世界経済フォーラムによる「ダボス会議」が行われた。
多彩な「住人」

古くは第31代米大統領のハーバート・フーヴァーと第34代米大統領のドワイト・アイゼンハワー[11]ダグラス・マッカーサー元帥[1]ラッキー・ルチアーノフランク・コステロらニューヨークのマフィア最高幹部[12]、セレブのエリザベス・テイラーやヒルトン一族[13]なども自邸として使用していたこともある。ウォルドルフ=アストリアにてジョン・F・ケネディ米大統領、ウタント国連事務総長、アドレー・スティーブンソン米国連大使(1962年)

42階のスイートルームは国際連合本部ビルニューヨークに建設され始めた1947年からアメリカ合衆国国際連合大使の公邸として借り上げられ[14][15]1960年に新しい公邸としてニューヨークのサットン・プレイスが米国政府に寄贈されるも当時の米国連大使アドレー・スティーブンソンは拒否したため、1972年にサットン・プレイスは国連に寄贈されて国際連合事務総長の公邸となった[16][17][18][19]。後の第41代大統領であるジョージ・H・W・ブッシュなど歴代米国連大使の自邸でもあったが[20][16][21][22][23]、後述する2014年の中華人民共和国の企業による買収とそれに伴う改修を受け、政府の機密が漏れることを防ぐことを理由に廃止された[24]
「ウォルドーフ・アストリア・コレクション」「ウォルドーフ・アストリア・ホテルズ&リゾーツ」を参照

2005年1月からは同チェーンの最上級クラスのホテルが「ウォルドーフ・アストリア・コレクション」(現:ウォルドーフ・アストリア・ホテルズ&リゾーツ)と呼ばれるようになった。なお、ヒルトンホテルズの中で買収され、自社所有ホテルとなった中でヒルトンの名前が入らないホテルは、ウォルドルフ=アストリア以外にはシカゴの名門ホテルの「ドレイク・ホテル」しか存在しなかった。

現在「ウォルドーフ・アストリア」を冠したホテルとしては、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアと同タワーのほか、ウォルドーフ・アストリア・オーランド(フロリダ州オーランド)、ウォルドーフ・アストリア・パークシティ(ユタ州パークシティ)、ウォルドーフ・アストリア・ビバリーヒルズ(カリフォルニア州ビバリーヒルズ)、ウォルドーフ・アストリア・バンコク(タイ王国バンコク)、ウォルドーフ・アストリア・ベルリン(ドイツベルリン)、上海外???道夫酒店(上海クラブビル)、北京??道夫酒店(中国・北京)、成都??道夫酒店(中国・成都)、 厦門??道夫酒店(中国・アモイ)などがある。2025年には、日本初となるウォルドーフ・アストリア大阪がグラングリーン大阪に開業を予定している。
歴史
開業開業時の建物1915年当時のウォルドルフホテルとアストリアホテル本館のエントランス外観


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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