アメリカ同時多発テロ事件の翌年の2002年には、同事件で「主要な目標となったニューヨークを支援する」という目的で初めてニューヨークで開催された世界経済フォーラムによる「ダボス会議」が行われた。 古くは第31代米大統領のハーバート・フーヴァーと第34代米大統領のドワイト・アイゼンハワー[11]、ダグラス・マッカーサー元帥[1]、ラッキー・ルチアーノやフランク・コステロらニューヨークのマフィア最高幹部[12]、セレブのエリザベス・テイラーやヒルトン一族[13]なども自邸として使用していたこともある。ウォルドルフ=アストリアにてジョン・F・ケネディ米大統領、ウタント国連事務総長、アドレー・スティーブンソン米国連大使(1962年) 42階のスイートルームは国際連合本部ビルがニューヨークに建設され始めた1947年からアメリカ合衆国国際連合大使の公邸として借り上げられ[14][15]、1960年に新しい公邸としてニューヨークのサットン・プレイスが米国政府に寄贈されるも当時の米国連大使アドレー・スティーブンソンは拒否したため、1972年にサットン・プレイスは国連に寄贈されて国際連合事務総長の公邸となった[16][17][18][19]。後の第41代大統領であるジョージ・H・W・ブッシュなど歴代米国連大使の自邸でもあったが[20][16][21][22][23]、後述する2014年の中華人民共和国の企業による買収とそれに伴う改修を受け、政府の機密が漏れることを防ぐことを理由に廃止された[24]。 2005年1月からは同チェーンの最上級クラスのホテルが「ウォルドーフ・アストリア・コレクション」(現:ウォルドーフ・アストリア・ホテルズ&リゾーツ)と呼ばれるようになった。なお、ヒルトンホテルズの中で買収され、自社所有ホテルとなった中でヒルトンの名前が入らないホテルは、ウォルドルフ=アストリア以外にはシカゴの名門ホテルの「ドレイク・ホテル」しか存在しなかった。 現在「ウォルドーフ・アストリア」を冠したホテルとしては、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアと同タワーのほか、ウォルドーフ・アストリア・オーランド(フロリダ州オーランド)、ウォルドーフ・アストリア・パークシティ(ユタ州パークシティ)、ウォルドーフ・アストリア・ビバリーヒルズ(カリフォルニア州ビバリーヒルズ)、ウォルドーフ・アストリア・バンコク(タイ王国・バンコク)、ウォルドーフ・アストリア・ベルリン(ドイツ・ベルリン)、上海外???道夫酒店(上海クラブビル)、北京??道夫酒店(中国・北京)、成都??道夫酒店(中国・成都)、 厦門??道夫酒店(中国・アモイ)などがある。2025年には、日本初となるウォルドーフ・アストリア大阪がグラングリーン大阪に開業を予定している。
多彩な「住人」
「ウォルドーフ・アストリア・コレクション」「ウォルドーフ・アストリア・ホテルズ&リゾーツ」を参照
歴史
開業開業時の建物1915年当時のウォルドルフホテルとアストリアホテル本館のエントランス外観