ウォルドルフ=アストリア
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42階のスイートルームは国際連合本部ビルニューヨークに建設され始めた1947年からアメリカ合衆国国際連合大使の公邸として借り上げられ[14][15]1960年に新しい公邸としてニューヨークのサットン・プレイスが米国政府に寄贈されるも当時の米国連大使アドレー・スティーブンソンは拒否したため、1972年にサットン・プレイスは国連に寄贈されて国際連合事務総長の公邸となった[16][17][18][19]。後の第41代大統領であるジョージ・H・W・ブッシュなど歴代米国連大使の自邸でもあったが[20][16][21][22][23]、後述する2014年の中華人民共和国の企業による買収とそれに伴う改修を受け、政府の機密が漏れることを防ぐことを理由に廃止された[24]
「ウォルドーフ・アストリア・コレクション」「ウォルドーフ・アストリア・ホテルズ&リゾーツ」を参照

2005年1月からは同チェーンの最上級クラスのホテルが「ウォルドーフ・アストリア・コレクション」(現:ウォルドーフ・アストリア・ホテルズ&リゾーツ)と呼ばれるようになった。なお、ヒルトンホテルズの中で買収され、自社所有ホテルとなった中でヒルトンの名前が入らないホテルは、ウォルドルフ=アストリア以外にはシカゴの名門ホテルの「ドレイク・ホテル」しか存在しなかった。

現在「ウォルドーフ・アストリア」を冠したホテルとしては、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアと同タワーのほか、ウォルドーフ・アストリア・オーランド(フロリダ州オーランド)、ウォルドーフ・アストリア・パークシティ(ユタ州パークシティ)、ウォルドーフ・アストリア・ビバリーヒルズ(カリフォルニア州ビバリーヒルズ)、ウォルドーフ・アストリア・バンコク(タイ王国バンコク)、ウォルドーフ・アストリア・ベルリン(ドイツベルリン)、上海外???道夫酒店(上海クラブビル)、北京??道夫酒店(中国・北京)、成都??道夫酒店(中国・成都)、 厦門??道夫酒店(中国・アモイ)などがある。2025年には、日本初となるウォルドーフ・アストリア大阪がグラングリーン大阪に開業を予定している。
歴史
開業開業時の建物1915年当時のウォルドルフホテルとアストリアホテル本館のエントランス外観

「ウォルドルフ」とは、アメリカ最初の億万長者であるアスター家初代当主のジョン・ジェイコブ・アスターの出身地、ドイツのヴァルドルフに由来し、「アストリア」はアスターという家名に由来する。1893年にアスター家の4代目ウィリアム・ウォルドルフ・アスターが建設した13階建ての「ウォルドルフ・ホテル」と、その隣に従兄弟のジョン・ジェイコブ・アスター4世1897年に建てた17階建ての「アストリア・ホテル」がその起源である。

ウィリアムは、叔母でありジョン・ジェイコブ4世の母であるニューヨーク社交界の大物・キャロライン・ウェブスター・シャーマーホーン・アスター(Caroline Webster Schermerhorn Astor)と折り合いが悪く、5番街にあったキャロラインの邸宅(現在のエンパイアステートビルディングの場所)を日陰にするために高層ホテル「ウォルドルフ・ホテル」を建てた。その経営には、フィラデルフィアで豪華ホテルのベルビュー(Bellevue)を経営するジョージ・ボルト(George Boldt)が招かれた。ウォルドルフ・ホテルはたちまちニューヨークの社交界の花形の舞台となった。

家を日陰にされたキャロラインとその息子ジョン・ジェイコブ・アスター4世は、ホテルを拡大しようとしていたボルトの勧めもあり、確執の相手だったウィリアムの隣地を売り払ってアップタウンに移転し、跡地にウォルドルフ・ホテルより4階高い「アストリア・ホテル」を建設した。このホテルもボルトが経営した。ピーコック・アレーという小路を挟んで建つ両ホテルは、ボルトの経営により一体となり、ウォルドルフ・アストリアは世界最大級のホテルとなった。
移転

当初は現在のエンパイアステートビルディングのある場所に立っていたが、同ビルが建設されるために1929年に取り壊され、世界大恐慌下の1931年に現在のパーク・アヴェニューに再建されて再オープンした。ソビエト連邦ホテル・ウクライナに超されるまで世界一背の高いホテルだった[25]

建物の内外のデザインの随所に、当時流行の先端であったアール・デコ様式が取り入れられており、その為にアメリカの歴史的建築物に指定されている。またオープン時、ウォルドルフ=アストリア楽団にザビア・クガートが招かれている。
ヒルトン傘下へ

このホテルを買収することを夢見ていた大手ホテルチェーンのヒルトンホテルズ創始者コンラッド・ヒルトン1949年にウォルドルフ=アストリアを手に入れた。その後はニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして君臨し、現在は、ヒルトンホテルズの旗艦ホテルとなっている。

2005年1月からは、ヒルトンホテルズの最上級クラスのホテルが「ウォルドーフ・アストリア・コレクション」と呼ばれるようになった。2007年には母体のヒルトンホテルズが投資ファンド運用会社ブラックストーン・グループに買収されたことにより、ウォルドルフ=アストリアも同グループの所有となったが、2013年に再び売りに出された[25]
中華人民共和国企業による買収

2014年10月、中華人民共和国の保険会社ケ小平一族と繋がりを持つ政商の呉小暉(英語版)が経営する安邦保険集団(英語版)(2018年2月の呉小暉への訴追から中国共産党政府が完全に管理する事実上の国営企業となった[26])によって、100年間ヒルトンが運営に携わる条件の下、およそ19億5000万ドル(約2100億円)というホテルの売却ではアメリカ史上最高額で買収された[27]。アメリカのメディアは1989年10月に当時バブル景気だった日本三菱地所ロックフェラー・センターをおよそ8億4600万ドル(約1200億円[28][29][30])で買収した衝撃と比較した[10][31]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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