さらに、ウォルト・ディズニーはディズニーランドの名を使って商売する他の企業に嫌気がさし、周囲の環境までコントロールできる巨大な土地を求めていた。1963年11月、ディズニー社は候補をいくつかの土地に絞った。そして湿地帯のため手を出す人は少ないため土地の値段も安く、近くで高速道路や空港が建設途中だったフロリダ州オーランドに決定した。しかし他者に「フロリダ・プロジェクト」と呼ばれるこの計画を知られないよう、土地の購入はいくつもの身代り会社を用いて行われた。
しかしほとんどが沼地であるこの地に大規模な施設を建設することは容易ではなく、まず大規模な土壌改善が必要だった。ディズニーランドで起きた失敗の一つとして、キャストがゲストに姿を見られないよう移動できる通路が足りなかったため、エリアの設定とは異なるキャストが移動のためそこを通り世界観を壊すというものがあった。そのためディズニー・ワールドでは地下にキャストや物資を移動させるためのトンネルを作る必要があり、湿地帯の土壌はトンネル建設には全くといっていいほど向かなかった。こうしたこともあって、工事の計画は当初の予定よりもはるかに大規模なものへとなっていった。また湿地帯は大規模な灌漑が行われ、運河によって水はけがよくなり、その流水はフロリダ南部のエバーグレーズ地方の水不足を解消した。 一方ウォルトは、この土地を使ってただの第2のディズニーランドではなく、一つの都市を作ろうと考えるようになっていった。多くの孫を持つようになっていたウォルトは、彼らが安心して暮らせる清潔で、犯罪の少ない理想都市を求めていたのだった。さらにこの頃に開催された1964年/1965年ニューヨーク世界博覧会にディズニーは複数のパビリオンを出展し、いずれも大盛況となった。それによってウォルトは、自身のエンターテイメントが東海岸の人々にも受け入れられていると確信し、都市計画を進めることに決めた。彼はこの計画を「実験的未来都市、EPCOT」(EPCOT = Experimental Prototype Community of Tomorrow)と名付け設計を始める。1966年10月、ウォルトはマジック・キングダムの周辺に巨大な都市を作ることを説明するビデオを製作した。このビデオの中で使用された模型は今もマジック・キングダムで展示が行われている。 計画が順調に進む矢先、1966年12月15日に肺癌によってウォルトが死去する。ウォルトの兄ロイ・O・ディズニーは、弟の遺志を引き継ぎ、退職を延期して建設を視察するなどした。また転換社債を大量に発行して無借金で莫大な建設費用を調達した。しかしウォルトが夢見たEPCOT計画はウォルト抜きでの実現は難しいと考え、未来というテーマだけを残した新たなパークを造ることにした。 そして1971年10月1日、ディズニーランドのフロリダ版ともいえるマジック・キングダムを核にウォルト・ディズニー・ワールドは開園。その際、ロイは名称を「ディズニー・ワールド」から「ウォルト・ディズニー・ワールド」に変更している。その理由として、「フォード社の名は皆が知っているがそれを作り上げたヘンリー・フォードの名を知るものは少ない。しかしウォルト・ディズニー・ワールドがある限り、世界中の人々がこれらを作り上げた男の名を知るだろう」と開業の際に語っている。ロイはその後1971年12月20日、ウォルト・ディズニー・ワールドの開業からわずか3か月足らずで息を引き取った。 かつてギネスブックにおいて「最大の遊園地」として認定されていたことがある[6][7]。
EPCOT計画
建設と開業建設予定地を視察するロイ・O・ディズニー
沿革
1965年11月15日 - ウォルト・ディズニーがフロリダ・プロジェクトを発表
1967年
- ウォルト・ディズニー・ワールドの建設が開始。
- 州法「リーディ・クリーク・インプルーブメント・アクト」が成立。ディズニー・ワールド内が多くの州規則の適用や、税金の一部が免除される特別地区となった[1]。
1971年10月1日 - 「マジック・キングダム」、「コンテンポラリー・リゾート」、「ポリネシアン・ヴィレッジ・リゾート」、「フォート・ウィルダネス・リゾート&キャンプグラウンド」開業
1974年4月8日 - 「ディスカバリー・アイランド」開業
1975年3月22日 - 「ウォルト・ディズニー・ヴィレッジ・マーケットプレイス」開業
1976年6月20日 - 「ディズニー・リバー・カントリー」開業
1982年10月1日 - 「エプコット・センター」開業
1988年10月1日 - 「グランド・フロリディアン・リゾート&スパ」、「カリビアン・ビーチ・リゾート」開業
1989年
5月1日 - 「ディズニー・MGM・スタジオ」、「プレジャー・アイランド」開業
6月1日 - 「ディズニー・タイフーン・ラグーン」開業
1990年
1月13日 - 「ウォルト・ディズニー・ワールド・スワン」開業
6月1日 - 「ウォルト・ディズニー・ワールド・ドルフィン」開業
11月5日 - 「ヨット・クラブ・リゾート」開業
11月19日 - 「ビーチ・クラブ・リゾート」開業
1991年
5月17日 - 「ポート・オーリンズ・リゾート - フレンチ・クォーター」開業
12月20日 - 「オールド・キー・ウェスト・リゾート」開業、ディズニー・バケーション・クラブ営業開始
1992年2月2日 - 「ポート・オーリンズ・リゾート - リバーサイド」開業
1994年
4月24日 - 「オールスター・スポーツ・リゾート」開業
5月28日 - 「ウィルダネス・ロッジ」開業
11月日 - 「オールスター・ミュージック・リゾート」開業
1995年
4月1日 - 「ディズニー・ブリザード・ビーチ」開業
6月20日 - 「プレジャー・アイランド」と「ウォルト・ディズニー・ヴィレッジ・マーケットプレイス」が統合され「ダウンタウン・ディズニー」に改名
11月28日 - 「ウォルト・ディズニー・ワールド・スピードウェイ」開業
1996年
1月1日 - エプコット・センターがエプコットに改名
7月1日 - 「ボードウォーク・イン」、「ボードウォーク・ヴィラ」開業
1997年
3月28日 - 「ディズニー・ワイド・ワールド・オブ・スポーツ・コンプレックス」開業
8月1日 - 「コロナド・スプリングス・リゾート」開業
1998年
4月22日 - 「ディズニー・アニマル・キングダム」開業
6月19日 - 「ディズニー・クエスト」開業
1999年
1月15日 - 「オールスター・スポーツ・リゾート」開業
4月8日 - 「ディスカバリー・アイランド」閉鎖
9月15日 - ハリケーン・フロイドの影響で休業
2001年
4月16日 - 「アニマル・キングダム・ロッジ」開業
9月11日 - アメリカ同時多発テロ事件による保安上の理由で休業
11月2日 - 「ディズニー・リバー・カントリー」閉鎖
2003年
12月14日 - 「ポップ・センチュリー・リゾート」開業
2004年
5月17日 - 「サラトガ・スプリングス・リゾート&スパ」開業
8月13日 - ハリケーン・チャーリーの影響で休業
9月4日?9月5日 - ハリケーン・フランシスの影響で休業
9月26日 - ハリケーン・ジャンヌの影響で休業
2008年1月7日 - 「ディズニー・MGM・スタジオ」が「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」に改名
2011年 - 「ゴールデン・オーク」開業
2012年5月31日 - 「アート・オブ・アニメーション・リゾート」開業
2015年
4月1日 - 「ポリネシアン・ヴィラ&バンガロー」開業
8月9日 - 「ウォルト・ディズニー・ワールド・スピードウェイ」閉鎖
9月29日 - 「ダウンタウン・ディズニー」が「ディズニー・スプリングス」に改名
2016年10月7日 - ハリケーン・マシューの影響で休業
2017年
7月3日 - 「ディズニー・クエスト」閉鎖
7月17日 - 「コッパークリーク・ヴィラ&キャビン」開業
9月10日?9月11日 - ハリケーン・イルマの影響で休業
2019年
9月3日 - ハリケーン・ドリアンの影響で休業
9月29日 - 「ディズニー・スカイライナー」開業