ウォッチメン_(映画)
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2003年7月、プロデューサーのロイド・レヴィンはヘイター版の脚本が完成したことを発表、すばらしい出来であると語った[26]。しかし、ヘイターとプロデューサー達は意見の相違からユニヴァーサルを去る事になる[27]

2003年10月にはRevolution Studiosで制作するかもしれないとゴードンとレヴィンは語った[28]。ゴードンとレヴィンはプラハでの撮影を希望していたが[29]、このプロジェクトも流れてしまう[30]

2004年7月、パラマウント映画が『ウォッチメン』を制作すると発表、ヘイターの脚本を使い、ダーレン・アロノフスキーを監督に選ぶ。ゴードンとレヴィンは引き続きこのプロジェクトに関わり、アロノフスキーのパートナーであるエリック・ワトソンと共同で動いていた[31]。しかしアロノフスキーは『ファウンテン 永遠につづく愛』の製作のために降り、ポール・グリーングラス監督で2006年夏公開に向けて動き出す[32]。この時、サイモン・ペグがロールシャッハ役をオファーされており、他にダニエル・クレイグジュード・ロウシガニー・ウィーバーもこのプロジェクトに関心を持っていた。グリーングラスはDr.マンハッタン役にホアキン・フェニックスを希望していた[10]

映画の宣伝のため、パラマウントは掲示板があり、壁紙がダウンロードできるウェブサイトを開設した[33]。テリー・ギリアムはヘイターが書いた脚本を読んで気に入ったが、こんな内容の暗い映画はスタジオが制作しないだろうとグリーングラスに語った[10]

2005年3月、『ウォッチメン』を含む高予算のプロジェクトの予算がカットされるとの噂が流れる。パラマウントのCEO、ダニエル・デ・ラインはこのプロジェクトを始めるために予算をカットするように促した[34]。ブラッド・グレイがパラマウントのCEOに就任した際、予算のカットを恐れたレヴィンは、予算削減のためにイギリス国外での制作を計画する[35]。しかしこのプロジェクトも流れてしまった[36]

2005年10月、ゴードンとレヴィンはワーナー・ブラザースと交渉を始める[37]。同年12月にはワーナーが『ウォッチメン』を制作する事になるが、グリーングラスは監督を降りる。加えて、デヴィッド・ヘイター版の脚本は基本的に使われない事になった[38]
制作開始

ワーナー・ブラザースは正式に制作を決めたが、その後に、パラマウント映画はユニヴァーサル映画に対してこの映画に関する開発費を全額払い戻ししていないので、パラマウントはこの映画に関する法的な権利はないと主張した。そのため、この作品はワーナーとパラマウントの共同制作にはならなかった。交渉の末、パラマウント映画がこの映画の25%に対して権利を持ち、北米以外での配給を担当する事に決まった。[39]

『300』を監督したザック・スナイダーに目を留めたワーナーは、スナイダーに『ウォッチメン』を監督しないかと持ちかけた。[40]数週間の考慮の後[41]、2006年6月23日、ワーナーはスナイダーと正式に契約し、脚本はアレックス・ツェーが手がける事になる。[42]

ヘイターの2つの脚本から良い部分を抜き出し、[43]ツェーは原作にある冷戦下というセッティングを脚本に戻した。[44]また、スナイダーはタイトルの部分にモンタージュ・シーケンスを加え、映画の中で描かれるもう一つのアメリカの歴史を観客が理解できるようにした。[45]スナイダーはエンディングに関してはヘイターの原稿を採用した。[46]
撮影

スナイダーは2007年6月から9月の間の撮影を望んでいたが、[47]2007年9月17日まで延期となった。[48]

また、スナイダーはこの作品に対して1億5000万ドルの予算を希望していたが、ワーナーは1億ドル以下を希望していた。[49]

結局、この映画の制作費はおよそ1億2000万ドルとなった。[46]制作はニューヨークのセットが組まれたバンクーバーで行われた。火星南極大陸でのシーンはブルーバックの前で行われた。[50]ソニー・ピクチャーズ・イメージワークスとインテリジェント・クリーチャーズが視覚効果を手がけた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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