1986年8月、プロデューサーのローレンス・ゴードンが20世紀FOXのために『ウォッチメン』の映画化権を獲得し、ジョエル・シルバーと共に映画化に向けて動き出した[17]。20世紀FOXは著者のアラン・ムーアに脚本を依頼するが[18]断られたため、脚本家のサム・ハムに依頼した。
1988年9月9日、ハムは第1稿を完成させるが、338ページ・9部からなる原作を128ページに集約するのは非常に困難だと語った。ハムは複雑な原作の結末をより分かりやすく書き直した[18]。
20世紀FOXは1991年に映画化から手を引いたため、ゴードンはLargo International制作、20世紀FOX配給で動き出す。しかしLargoがその3年後に倒産してしまう。
ゴードンとシルヴァーはこのプロジェクトをワーナー・ブラザースに持って行き、テリー・ギリアムがメガホンを取ることになる。
ハムの脚本に不満を抱いたギリアムは、チャールズ・マッケオン
に書き直しを依頼する。第2稿ではロールシャッハの日記はボイス・オーバーの形で描かれ、ハムが脚本化の際に除いた部分が戻された[18]。『ウォッチメン』の作画を担当したデイヴ・ギボンズによると、シルヴァーはDr.マンハッタン役にアーノルド・シュワルツェネッガーを希望していたという[19]。撮影はパインウッド・スタジオで行われる予定だった[20]。しかし、ギリアムとシルヴァーが直前に手がけた『バロン』と『ダイ・ハード2』の予算がオーバーしたため、この映画のために2500万ドルしか用意できなかった。これは必要な予算の4分の1にすぎなかった[18]。結果としてギリアムはこのプロジェクトを諦めた。ギリアムは「このストーリーを2時間から2時間半の映画にしてしまうことは、『ウォッチメン』の基本要素を取り去ってしまう事になると感じた」と語った[21]。
ワーナー・ブラザースが映画化を諦めた時、ゴードンは『ウォッチメン』を自主製作するので、監督に復帰してほしいとギリアムに依頼する。ギリアムはこれを辞退し、「映画よりも5時間のミニ・シリーズにした方がいいのではないか」との見解を示した[22]。
2001年10月、ゴードンとユニバーサル・スタジオは、デヴィッド・ヘイターに脚本を依頼する[23]。