タイトル及びテーマは、ユウェナリスの『風刺詩集(英語版)』第6篇「女性への警告」からの抜粋に由来する[2]。
ラテン語(原語)
noui consilia et ueteres quaecumque monetis amici,
"pone seram, cohibe".
sed quis custodiet ipsos custodes
cauta est et ab illis incipit uxor ? Iuvenalis、Saturae VI l.346-349[3]
英訳
I hear always the admonishment of my friends:
"Bolt her in, and constrain her!"
But who will watch the watchmen?
The wife arranges accordingly, and begins with them ? Juvenal、Satires 6 l.346-349[4]
日本語訳
私は我が友の忠告を常に聞く。
「彼女に閂を掛け、拘束せよ!」 1985年、DCコミックスはチャールトン・コミックから一連のキャラクターの権利を取得した[5]。当時ムーアは、かつて1980年代初頭に『ミラクルマン』シリーズで行ったように、自らの手で改革可能なキャラクターを登場させたストーリーの執筆を考えていた。アーチー・コミックの前身MLJコミックのマイティ・クルセイダー
しかし、誰が見張りを見張るのか?
妻は手筈を整えて、彼らと事を始める ? ユウェナリス、『風刺詩集(英語版)』 第6篇 l.346-349
制作背景
過去の作品でムーアと組んだ経験のあるアーティストのデイブ・ギボンズは、ムーアがある読み切り作品の構想に取り組んでいる事を聞き付けた。自分も参加したいと述べたギボンズに、ムーアはストーリーの概略を送った[9]。ギボンズはジョルダーノにムーアが企画したシリーズの作画を手掛けたいと伝えた。ジョルダーノはギボンズにムーアの意向はどうかと尋ね、ギボンズがムーアも自分の作画を望んでいると答えた事で、ギボンズは参加することになった[10]。カラリストのジョン・ヒギンズの風変わりな作風を好んでいたギボンズは、ヒギンズをこの企画に誘い入れた。ヒギンズはギボンズの近所に住んでおり、2人は「(作画について)語り合ったり、海を越えて手紙を送りあうよりは親密な近所づきあいをしていた」[7]。ジョルダーノが監修者としての地位に留まる一方で、レン・ウェインが編集者として加わった。ウェインとジョルダーノの両者は企画から距離を置き、やがて企画を離れた。ジョルダーノは「そもそも、アラン・ムーアの校正ができる奴がいるかね?」と述べている[5]。
企画の許可を得たムーアとギボンズは、ギボンズの自宅でキャラクターの創造と、物語内の詳細な社会環境の構築、着想の元となるアイデアについての議論を行った[8]。2人が特に影響を受けたのは、『MAD』誌における『スーパーマン』のパロディ『スーパーデューパーマン』である。ムーアは「我々はスーパーデューパーマンの180度反対を目指した――喜劇的ではなく、劇的な」と語った[8]。ムーアとギボンズは、「全く新しい世界で生きる、懐かしいお馴染みのスーパーヒーロー達」の物語を考え出した[11]。ムーアの意図したのは「ある程度の重厚さと密度を備えた何か。言わば、スーパーヒーロー版『白鯨』だ」と述べた[1]。ムーアは登場人物の名前と説明を思い付いたが、その外見の詳細はギボンズに任せた。ギボンズは敢えてその場でキャラクターのデザインはせず、代わりに「手の空いた時にそれをやった。(中略)おそらくスケッチだけで2、3週間は掛かった」[7]。ギボンズは彼のキャラクター達を描き易いようにデザインした。ロールシャッハが一番お気に入りのキャラクターだったとギボンズは語っている。その理由について「描かねばならないのは帽子だけだ。帽子さえ描ければ君にもロールシャッハは描ける。後はただ顔の輪郭を描いて黒インクの染みを何滴か垂らせば、それでロールシャッハの出来上がりだ」と述べた[12]。
DCの読み切り作品『キャメロット3000』が原因で直面していた出版延期を避けようと、ムーアはすぐさま原作の執筆に着手した[13]。ムーアは第1話の原作を執筆していた時に「私は6話分のプロットしか考えていなかった。我々は12話の作品を契約していたというのに!」と述べた。ムーアが考えた解決策は、物語の本筋と登場人物の過去の出来事を、各話で交互に扱うという物であった[14]。ムーアはギボンズに対して非常に詳細な原作を執筆した。ギボンズは「『ウォッチメン』第1話の原作は、行間のぎっしり詰まったタイプ原稿で101ページはあったと思う。各コマの説明の間に空行はなくて、各ページの間にさえ空行がなかった」と回想している[15]。原作を受け取ると、ギボンズはすぐに原稿にページ数を書き込んだ。「もし床に原稿を落としたりしたら、正しい順番に並べなおすのに2日はかかるだろうからね」と語った。作中のセリフとキャプションや具体的な場面描写には、マーカーで印が付けられた。「マーカーで線を引く箇所を見極めるだけでも、ちょっとした一仕事だったよ」と語った[15]。ムーアは詳細な原作を渡していたが、各コマの説明はしばしば「これは君の作画には向かないかもしれない。一番上手くいくやり方でやってくれ」という注意書きで終わっていた。それにも関わらず、ギボンズはムーアの指示を忠実に実行した[16]。ギボンズは『ウォッチメン』世界の視覚化にあたって、ムーア自身も後になるまで気付かなかったような、背景の細かい描写を多数挿入した[1]。ムーアは調査中の疑問や各話に含まれる引用文について尋ねるため、時おり友人であるニール・ゲイマンと連絡を取った[14]。
その意思にも関わらず、1986年11月に、ムーアは制作の遅れを認めざるを得なくなった。第5話がニューススタンドに並んでいる時に、ムーアはまだ第9話の原作を書いていた[15]。ギボンズは制作の遅れの最大の原因は、彼がムーアの原稿を受け取る時の「細切れの受け取り方」だったと述べている。ギボンズによれば制作チームのペースは第4話あたりから遅れがちになり、これ以降、徐々にギボンズはムーアから、「一度に数ページ分の原作しか渡されなくなった。3ページ分の原作をアランから受け取って作画し、それが終わりかけると、アランに電話して言う。『エサをくれ!』するとアランが次の2?3ページ分か、ひょっとしたら1ページ分、時によっては6ページ分の原作を送ってくる」[17]。締め切りが迫ると、ムーアはタクシーで50マイルを飛ばしてギボンズに原稿を届けた。後半の各話では、ギボンズは時間の節約のために妻と息子にワク線を引くのを手伝わせた[14]。オジマンディアスがロールシャッハの奇襲を防ぐ場面では、ギボンズがセリフを1ページに収め切れなかったため、ムーアはやむなくオジマンディアスによるナレーションを削った[18]。
制作が終りに近付いた頃に、ムーアはこの作品がテレビドラマ『アウター・リミッツ』の一エピソード「ゆがめられた世界統一」(原題:The Architects of Fear)に似通った物となりつつある事に気付いた[14]。ムーアとウェインは結末の変更について論争し、ムーアが勝利を収めたものの、最終話ではこのドラマが作中に登場するテレビの中で放送されているコマがあり、本作が影響を受けた事を、さりげなく認めている[16]。 1985年10月、ニューヨーク市警はエドワード・ブレイクという男が殺された事件を調査していた。警察は解決をあきらめたものの、条例に反して今もなおヒーロー活動を続けているロールシャッハ/ウォルター・コバックスはさらに調査を継続することにした。ロールシャッハはブレイクの正体が政府に所属するスーパーヒーロー・コメディアンだと知り、「この事件はヒーロー狩りである」という仮説を立て、引退した元相棒の二代目ナイトオウル/ダン・ドライバーグ、超人的な能力を持つが人間性を失いつつあるDr.マンハッタン/ジョン・オスターマンと彼の恋人である二代目シルクスペクター/ローリー・ジュスペクツィク、成功した実業家であるオジマンディアス/エイドリアン・ヴェイトらかつて「クライムバスターズ」として共に戦った仲間たちに警告を発するも、彼の警告を真に受ける者は少なかった。
あらすじ