1960年代から無香料のスウェーデン産ブレンヴィーンがウォッカと呼ばれるようになった。初めてこのように呼ばれるようになった製品は、1958年にアメリカのマーケット輸出用に製造された「Explorer Vodka」であった[8]。
1879年に誕生したアブソルート が1979年に世界に向けて販売された。スピリッツの中ではバカルディやスミノフに続く3番目に位置している。
ウォッカをめぐる論争
1977年にポーランドはウォッカの起源と「ウォッカ」という名称の独占的使用権を主張し始め、当時のソ連と法廷闘争となった。ソ連国家機関の要請によりパフリョプキンは『ウォッカの歴史』を著し、ウォッカの起源を15世紀半ばのロシアと主張しポーランド側の主張を覆そうとした。ポーランド側は最初のウォッカとするゴシャウカ(Gorzalka)が16世紀半ば以前から作られていたという証明ができず、1982年に国際調停裁判所はウォッカの起源をロシアと認定し、ロシアのオリジナルアルコール飲料として宣伝の権利を認めた[3]。
欧州連合における、ウォッカの定義に関する議論を俗にウォッカ戦争という[9]。
穀物、ジャガイモが原料のもの以外はウォッカとして認めない - ポーランド、スウェーデンなど
サトウキビやブドウが原料のものも認めるべき - イギリス、オランダなど
以上の二派に分かれ、5年の間議論が続けられた[9]。議論は2007年12月17日に決着し、「原材料を明記することによって、ウォッカと認める」という結論で双方が合意した[9]。 ロシアの酒事情を初めて記述したのは、寛政5年(1793年)に蝦夷地(現北海道)へ水戸藩士である武石祐左衛門と木村謙次が視察にいった際、松前藩士やアイヌ人にロシア人について聞き取り調査をした記録『北行日録
日本
初めてウォッカを製造・販売したのは、ウクライナ系亡命ユダヤ人のミハエル・コーガンが創業した太東貿易である。ただし同業他社が登場したのですぐ撤退、その後は輸入やアミューズメント事業に方針転換、現在はゲーム会社のタイトーとなっている。
2022年4月12日、日本は同年2月に発生したロシアのウクライナ侵攻を受け、ウォッカを含む酒類についてロシアからの輸入を経済産業大臣の承認制とした[10]。 ロシアウォッカの標準的な製法は以下のようになる[11]。添加物とろ過工程の回数や順序は製品によって変わる。
ウォッカの製法
蒸留
エチルアルコールの製造は国家が管理する蒸留所で行われる。まず、小麦またはライ麦を煮てフィルターにかけ、イーストを加えて醪を作り、連続式蒸留器にかける。そこから得られる96パーセントの精留エチルアルコールがロシアウォッカの元となる。エチルアルコールは国家規格により上から、リュクス、エクストラ、上精製の3つの等級に分けられる。等級の違いはフーゼル油濃度と蒸留回数によるが、必ずしも高級ウォッカにリュクスが使われるとは限らない。
加水
各メーカーは蒸留所からエチルアルコールを買い付け、アルコール度数が40度になるように水を使って薄める。使われる水は天然水や精製水など、様々である。
添加物
ウォッカにほのかな甘味を与えるために蜂蜜や果糖などの糖分を加える。また、微妙な風味の違いを与えるためになんらかの隠し味を加える。フレーバーウォッカの場合、色や香り、薬草などを加える。
ろ過
ウォッカ製造の最も重要なプロセスとされる。伝統的で標準的な方法として白樺活性炭を使ってろ過するが、新品の木炭と回収木炭の使い分けや、木炭以外のろ材やろ過の回数など各社にノウハウがある。
仕上げ
仕上げのフィルターを通したのちにボトリングし、出荷される。
ウォッカの種類
穀物
ライ麦
ポーランド産が多い。
グレーン
色々な穀物を原料としたもの。
小麦
小麦をメインとしたもの。ロシア産とスウェーデン産に多い。
大麦
フィンランド産に多い。
穀物以外
ミルク
ミルク等から抽出した乳糖を原料としたもの。
フルーツ
ポーランド産、アメリカ産に多い。スモモやブドウが主に使われる。
じゃがいも
ポテトをメインとしたもの。ポーランド産、ノルウェー産、エストニア産に多い。
ビート(甜菜)
サトウダイコンをメインとしたもの。
モラセス
サトウキビの廃糖液をメインとしたもの。蒸留方法等によりラム酒にもなる。
フレーバード
生姜・唐辛子・パプリカ・ハーブ・レモン・フルーツ等で風味付けたもの、またはウィスキーと同じように樽詰め熟成したもの。ポーランド産に多い。ズブロッカ(ハーブ、この場合バイソングラス)、チェリーウォッカ(フルーツ、この場合サクランボエキス)、スタルカ