ウェールズ
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GDP(MER
合計(xxxx年)xxx,xxxドル(???位
1人あたりxxxドル

GDP(PPP
合計(2006年)854億ドル(???位
1人あたり30,546米ドル

建国1057年 (グリフィズ・アプ・ルウェリンによる統一)
1258年 (ウェールズ公国成立)
通貨UKポンドGBP
時間帯UTC0 (DST:+1)
ISO 3166-1GB (GB-WLS)
ccTLD.wales(英語版).cymru(英語版)
国際電話番号+44
1 イギリス構成国中第3位
2 イギリス構成国中第3位ウェールズのヘラルディック・バッジ。ウェールズの守護聖人である聖デイヴィッドおよびウェールズそのものを象徴するリーキ(西洋ネギ)[1]が描かれている。

ウェールズ(英語:  Wales[ヘルプ/ファイル]、ウェールズ語: Cymru [?k?m.r?] ( 音声ファイル) カムリ)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する4つの「構成国(country)」のひとつである。ウェールズはグレートブリテン島の南西に位置し、南にブリストル海峡、東にイングランド、西と北にはアイリッシュ海が存在する。

かつて、石炭を代表とする豊富な地下資源を産出し、イギリスの産業革命を支えた歴史をもつ。
歴史詳細は「ウェールズの歴史」を参照カーディフ城
古代

ウェールズのブリトン系住民はローマ帝国の支配を受けたが、アングロ・サクソン民族に征服されたわけではなかった。イギリスのアーサー王伝説はアングロ・サクソンに抵抗したブリトン人の王の物語とされる。
中世

中世には小部族国家が群立し、やがてグウィネズ王国(英語版)(グウィネッズ)、ポーイス王国(英語版)(ポウィス)、デヒューバース王国(英語版)などの地方王権が形成された。13世紀中葉にグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズのほとんどの領域を支配下に収めるなど、幾度か一時的な政治的統一がなされるが、イングランドのような恒常的な統一王権が確立されることはなく、実態としてはリズラン法典に従うマナー家臣団による統治であった。

伝統的にウェールズは侵略者に対して頑強な抵抗を示し続けている。1066年に征服王ギヨームイングランドを征服したが(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝によるウェールズへの侵略・植民政策は、ウェールズ南東部を除いて恒久的な成功とはならなかった。以降もイングランドから度重なる侵略を受け続けたが、その都度撥ね返して独立を守ってきた。
ウェールズ公国

1258年にウェールズの事実上の統治者グウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)を名乗り、ウェールズ公国(Principality of Wales)が成立した。しかし、イングランドからの圧力に加えてウェールズ内部での権力闘争の激化、オックスフォード条項以降のコモンロー支配によってウェールズは弱体化していき、徐々にイングランドに臣従せざるを得なくなった。1282年、ルウェリン・アプ・グリフィズがイングランド王エドワード1世に敗れてからは、ウェールズはイングランドに占領されその支配下に置かれることとなった(Conquest of Wales by Edward I)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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