1892年、ロシアのドミトリー・イワノフスキーは、タバコモザイク病の病原が細菌濾過器(当時は粘土を素焼きしたもの)を通過しても感染性を失わないことを発見。それが細菌よりも微小な、光学顕微鏡では観察できない存在であることを報告した。しかし、病原体は細菌であるという考えを捨てきれなかった。またこの研究とは別に、1898年にドイツのフリードリヒ・レフラーとパウル・フロッシュが口蹄疫の病原体の分離を試み、これが同様の存在であることを突き止め、「filterable virus(濾過性病原体)」と呼称した。同年にオランダのマルティヌス・ベイエリンクはイワノフスキーと同様の研究を行って、同じように見出された未知の性質を持つ病原体を「Contagium vivum fluidum(生命を持った感染性の液体)」と呼んだ。
レフラーは濾過性病原体を小さな細菌と考えていたが、ベイエリンクは分子であると考え、これが細胞に感染して増殖すると主張した。彼の主張はすぐには受け入れられなかったが、同様の性質をもった病原体やファージが発見されていくことで、一般にもウイルスの存在が信じられるようになった。その後、物理化学的な性質が徐々に解明され、ウイルスはタンパク質からできていると考えられた。
1935年、アメリカ合衆国のウェンデル・スタンリーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、これによってウイルスは電子顕微鏡によって初めて可視化されることとなった[26]。また彼の発見したこの結晶は、感染能を持っていることを示し、化学物質のように結晶化できる生物の存在は生物学・科学界に衝撃を与えた。彼はこの業績により、1946年にノーベル化学賞を受賞した[27]。
スタンリーは、ウイルスが自己触媒能を持つ巨大なタンパク質であるとしたが、翌年に少量のRNAが含まれることが示された。当時は遺伝子の正体は未解明であり、遺伝子タンパク質説が有力とされていた。当時は、病原体は能動的に病気を引き起こすと考えられていたので、分子ロボット(今で言うナノマシン)のようなもので、人が病気になるということに科学者たちは驚いた。それでも当時はまだ、病原体であるには細菌ほどの複雑な構造、少なくとも自己のタンパク質をコードする遺伝子ぐらいは、最低限持っていなくては病原体になりえない、と思われていた。
1952年に行われたハーシーとチェイスの実験は、バクテリオファージにおいてDNAが遺伝子の役割を持つことを明らかにし[28]、これを契機にウイルスの繁殖、ひいてはウイルスの性質そのものの研究が進むようになった。同時に、この実験は生物の遺伝子がDNAであることを示したものと解せられた。
その後の研究で、大きさやゲノム、遺伝子の数で一部の細菌を上回るウイルスも発見されるようになった。750nmというサイズから1992年に細菌と誤認された「ブラッドフォード球菌」は、電子顕微鏡による解析が進められて、2003年にウイルスだったと確認された(ミミウイルス)。2013年には長径1000nmのパンドラウイルス、翌2014年には長径1500nmの「ピソウイルス」が発見された[29](「巨大核質DNAウイルス」参照)。
構造ウイルスの基本構造
(A)エンベロープを持たないウイルス、(B)エンベロープを持つウイルス、1. カプシド、2. ウイルス核酸、3. カプソマー、4. ヌクレオカプシド、5. ビリオン、6. エンベロープ、7. スパイクタンパク質
ウイルスの基本構造は、粒子の中心にあるウイルス核酸と、それを取り囲むカプシド (英: capsid) と呼ばれるタンパク質の殻から構成された粒子である。ウイルス核酸とカプシドを併せたものをヌクレオカプシド (英: nucleocapsid) と呼ぶ。ウイルスの形状はカプシドの形によって基本的には正20面体型(立方対称型)と螺旋対称型に分けられる[7]。ウイルスによっては、エンベロープ (英: envelope) と呼ばれる膜成分など、ヌクレオカプシド以外の物質を含むものがある。これらの構成成分を含めて、そのウイルスにとって必要な構造を全て備え、宿主に対して感染可能な「完全なウイルス粒子」をビリオンと呼ぶ。
ウイルスの大きさ(長径)は小さいもので20?40nmで大きいものも含め平均すると100nmほどである[7]。最も大きい天然痘ウイルスは長径300nmで原核生物で最も小さいマイコプラズマ(200?300nm)よりも大きい[7]。ウイルスは光学顕微鏡では観察できず、電子顕微鏡が必要だが、電子線を照射するため生きた細胞内のウイルスを観察することはできない[7]。
ウイルス核酸