ウィンザー家
House of Windsor
王朝
国 イギリス及び英連邦王国
主家ザクセン=コーブルク=ゴータ家
(ヴェッティンの分家
ウィンザー朝(ウィンザーちょう)は、イギリスおよびその他の英連邦王国の王朝である。1901年、ザクセン=コーブルク=ゴータ家(ヴェッティン家の分家)は、ヴィクトリア女王とザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバートの嫡男である国王エドワード7世の王位継承により、ハノーヴァー朝からイギリスの王位を継承した。1917年、第一次世界大戦中のグレートブリテン及びアイルランド連合王国での反ドイツ感情(英語版)のために、王室の名前を、ドイツ語の英語読みのサクス=コバーグ=ゴータ家(House of Saxe-Coburg-Gotha)から英語のウィンザー家(House of Windsor)に改名し[1]、さらにそれまで王家は姓をもたなかったが、ヴィクトリア女王の男系子孫は「ウィンザー」の姓を称するものと定められた[2]。チャールズ3世からは姓はマウントバッテン=ウィンザーとなっているが、家名(王朝名)は「ウィンザー」のままである。
現在の家長は15の主権国家の君主である。該当する国はイギリス(拠点)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカ、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスである。これらの各国の君主制に加えて、3つの王室属領、14のイギリス海外領土、および2つのニュージーランドの自由連合がある。 ウィンザー家(House of Windsor)の元の家名(王朝名)はサクス=コバーグ=ゴータ家(House of Saxe-Coburg-Gotha)といった。これはヴィクトリア女王の夫(王配)アルバートの家名(その英語形)であった。アルバートはドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世の息子であったが、この家系からはベルギー、ブルガリア、ポルトガルの王家も出ている。 第一次世界大戦中の1917年、ジョージ5世は敵国ドイツの領邦であるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の名が冠された家名を避け、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称し、かつ、王家は姓を用いないとの先例を覆してウィンザーを同家の姓としても定めた。そのため、1917年以降は現在の国王チャールズ3世にいたるまでをウィンザー朝と称し、かつ、その構成員(ジョージ5世の直系および存命の叔父コノート公アーサーの系統)は(必要がある場合には)ウィンザーの姓を用いる。ただし、ヴィクトリア女王の血統が断絶したわけではないので、いずれもハノーヴァー朝の継続と見なされることがある。ハノーヴァー朝以来代々の王位継承者の配偶者はドイツ人やドイツ系の王族が迎えられることが多かったが、エドワード8世がアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚問題から退位し、代わって王位に就いたジョージ6世の妃エリザベスはグレートブリテン王国成立以降で初の同国出身の王妃となった。その孫で現国王のチャールズ3世の元の妃ダイアナ、現在の妃カミラもまた同国出身である。 なお、1960年にエリザベス2世と夫フィリップ(Philip)公の男系子孫の姓を、フィリップの家名であるマウントバッテン(Mountbatten)を反映してマウントバッテン=ウィンザー(Mountbatten-Windsor)とする枢密院令が発せられた。ただし、家名(王朝名)が変更されたわけではないため、チャールズ3世が即位した後もその王朝名は「ウィンザー(House of Windsor)」のままである[2]。 1917年に、家名をウィンザー家と改称。 1960年の枢密院令により、エリザベス2世の男系子孫はマウントバッテン=ウィンザーの姓を称するようになった。 肖像名誕生在位戴冠式
歴史
歴代君主「イギリス君主一覧」も参照
ジョージ5世(1917年 - 1936年)
1922年に南アイルランドが「アイルランド自由国」としてイギリス(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)から分離し、1927年以後イギリスの正式国名は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」となった。正式な王号もそれに伴い改称されている。
エドワード8世(1936年)- 退位後はウィンザー公爵。
ジョージ6世(1936年 - 1952年)
エリザベス2世(1952年 - 2022年)
チャールズ3世(2022年 - )
ジョージ5世1865年6月3日