姓はマウントバッテン=ウィンザー(Mountbatten-Windsor)とされるが、法的にはウィンザー(Windsor)であるともされる[1]。通常は、王族の姓を呼称することはない。
公式の敬称は「殿下」(His Royal Highness 略してHRH)。日本の外務省では外交儀礼に即して「ウィリアム皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)殿下」と表記する。日本政府および報道では、皇室と異なり「さま」もつけず、殿下もつけず、単に「ウィリアム皇太子」又は英皇太子と表記する[2]。
自らが爵位を得る前は(他の有爵者の子と同様に)父チャールズの当時の称号(プリンス・オブ・ウェールズ)から、オブ・ウェールズをクリスチャン・ネームに後置して使用していた(HRH Prince William of Wales)。結婚とともにケンブリッジ公位を得たため、新たに自身がプリンス・オブ・ウェールズの位を得るまで、公式には(オブ・ウェールズではなく)ケンブリッジ公爵と称することとなった(HRH Prince William, Duke of Cambridge)。
なお、大学在籍時はウィリアム・ウェールズ(William Wales)という名前を使用していた[3][4]。
経歴日本の皇居において明仁天皇・美智子皇后に挨拶するケンブリッジ公(訪日中の2015年2月27日)2018年1月30日、スウェーデン訪問時。
西ロンドン・パディントンの聖メアリ病院にてチャールズ皇太子と皇太子妃ダイアナの長男(第1子)として1982年6月21日に誕生。
ロンドン西部にある保育所や幼稚園に通い、小学校はバークシャーのルドグローブ小学校に通った。ウィリアムは小学校に通学した最初のイギリス王子である。その後、名門パブリックスクールであるイートン校に学び、地理、生物、歴史ではAの成績を取った。卒業後1年間のギャップ・イヤーにはチリでのボランティアを経験している。
大学は、スコットランドのセント・アンドルーズ大学に入学し、最初は美術史の専攻を選択したが、途中から地理学に変更した。大学では「ウィリアム・ウェールズ」と名乗っていたほか、セント・アンドルーズの町では目立たない集合住宅に暮らすなどの生活を心がけ、近くのエディンバラの町でもよく見かけられた。また大学在学中は、イギリス王室とマスメディアの協定により、取材攻勢から保護された。
2005年6月に大学を卒業した。卒業論文のテーマは「モーリシャス・ロドリゲス島の珊瑚礁」であり、大学院の入学資格もあるとみなされる“Upper Second”ランクの成績をとった。父チャールズ皇太子(現・チャールズ3世)は“Lower Second”という1つ下のランクの成績での卒業であり、ウィリアム王子(現・ウィリアム皇太子)の成績はこれまでのイギリス王室の中では最高だった。卒業後短期間であるが、デヴォンシャー公爵領における事務およびロンドンのHSBC銀行の慈善事業部門において研修を行っている。
2014年、ケンブリッジ大学に入学。10週間にわたり、農業経営を学ぶ[5]。
2015年春より、民間の航空救急会社「East Anglian Air Ambulance」に救急ヘリコプターの副操縦士として就職することが発表された、なお給与は全て慈善団体に寄付される[6]。
2015年2月26日、初めて日本を公式訪問した。東京都渋谷区の代官山と蔦屋書店、神奈川県横浜市の英連邦戦死者墓地などを訪問し、福島県や宮城県の東日本大震災の被災者たちと交流している。
2022年9月9日(祖母エリザベス2世の崩御の翌日)、父チャールズ3世から皇太子の称号を授けられた[7]。 王室の伝統に従いイギリス軍に入隊するにあたり、2006年1月サンドハースト王立陸軍士官学校に入学した。
軍歴