1959年に1500万ドルの制作費をかけたスペクタクル史劇『ベン・ハー』は大ヒットを記録しただけでなく、アカデミー賞では作品賞を含む過去最高で、合計11部門を受賞してワイラーには3度目の監督賞が贈られた。
60代以降のワイラーの作品としては、サイコ・スリラー『コレクター』、ワイラー唯一のミュージカル『ファニー・ガール』、黒人差別問題を描いた遺作『L・B・ジョーンズの解放』などがあり、また『ローマの休日』でワイラーが見出して一躍スターダムを駆け上がったオードリー・ヘプバーンを再び迎え、『噂の二人』(1936年に発表した『この三人』のセルフリメイク)や『おしゃれ泥棒』を監督した。
アカデミー監督賞ノミネート12回という記録は未だに破られていない。
また、『黒蘭の女』でのベティ・デイヴィス、『ミニヴァー夫人』のグリア・ガースン、『我等の生涯の最良の年』フレドリック・マーチ、『女相続人』のオリヴィア・デ・ハヴィランド、『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーン、『ベン・ハー』のチャールトン・ヘストン、『ファニー・ガール』のバーブラ・ストライサンド等の演出で数々の出演者をオスカーに導いた。監督作品においてアカデミー男優賞・女優賞の演技部門は14回受賞、ノミネート回数は36回を記録しており、いずれも歴代最多である。
俳優とスタッフへの要求を通して事実を積み重ね、フィクションとしての映画を完成させた完璧主義者で、スタジオ関係者からナインティ・テイク・ワイラーとあだ名される程、自分が納得するまで、時には90回も撮り直すほどのこだわりはことに有名だった[要出典]。このような演出方針や、彼が完璧な英語を操れないという意思疎通上の問題も一因となって、しばしば俳優やスタッフとの間に軋轢を引き起こしたことでも知られる。先述のベティ・デイヴィスはワイラー作品での演技でオスカーを受賞しているが(『月光の女』、『偽りの花園』でも組んだ)、ワイラーとの撮影時の対立は特に凄まじいものであったといわれる[要出典]。
戦後の一時期、ワイラーは大手映画会社の力に左右されず監督の立場を強化するためにフランク・キャプラやジョージ・スティーヴンスと共にリバティ・ピクチャーズを創立するが、頓挫している。
1981年、ロンドンで開かれた映画祭に出席し、7月26日に帰国、しかし翌27日にビバリーヒルズの自宅にて心臓麻痺で死去した。 心理描写や人物の性格表現に長けており、がっちりとしたドラマ構成に基づく映画技術で、非常に幅広いジャンルの映画製作で活躍した。 賞年部門作品結果
作風
その他
1955年(昭和30年)4月に来日。約2週間滞在し、日光・京都・奈良を訪れている。[要出典]
1980年(昭和55年)4月にも黒澤明監督の『影武者』のプレミアショーに招かれ、来日している。[要出典]
主な監督作品『嵐ヶ丘』(1939年)『我等の生涯の最良の年』(1946年)『噂の二人』(1961年)
稲妻の男 Lazy Lightning
戦友の為 The Stolen Ranch (1926)
新時代 Blazing Days (1927)
君を尋ねて三千里 Anybody Here Seen Kelly? (1928)
仮の塒 The Shakedown (1929)
恋のからくり The Love Trap (1929)
砂漠の生霊 Hell's Heroes (1930)
嵐 The Storm (1930)
北海の漁火 A House Divided (1931)
鉄血士官校 Tom Brown of Culver (1932)
やりくり宝船 Her First Mate (1933)
巨人登場 Counsellor at Law (1933)
白蛾 Glamour (1934)
お人好しの仙女 The Good Fairy (1935)
この三人 These Three (1936)
孔雀夫人 Dodsworth (1936)
大自然の凱歌 Come and Get It (1936)
デッドエンド Dead End (1937)
黒蘭の女 Jezebel (1938)
嵐ヶ丘 Wuthering Heights (1939)
西部の男 The Westerner (1940)
月光の女 The Letter (1940)
偽りの花園 The Little Foxes (1941)
ミニヴァー夫人 Mrs. Miniver (1942)
メンフィス・ベル Memphis Belle (1944)
我等の生涯の最良の年 The Best Years of Our Lives (1946)
女相続人 The Heiress (1949)
探偵物語 Detective Story (1951)
黄昏 Carrie (1952)
ローマの休日 Roman Holiday (1953)
必死の逃亡者 The Desperate Hours (1955)
友情ある説得 Friendly Persuasion (1956)
大いなる西部 The Big Country (1958)
ベン・ハー Ben-Hur (1959)
噂の二人 The Children's Hour (1961)
コレクター The Collector (1965)
おしゃれ泥棒 How to Steal a Million (1966)
ファニー・ガール Funny Girl (1968)
L・B・ジョーンズの解放 The Liberation of L.B. Jones (1970)
主な受賞歴
アカデミー賞1936年作品賞『孔雀夫人』ノミネート[1]
監督賞ノミネート
1937年作品賞『デッドエンド』ノミネート
1938年作品賞『黒蘭の女』ノミネート
1939年作品賞『嵐が丘』ノミネート
監督賞ノミネート [2]
1940年作品賞『月光の女』ノミネート
監督賞ノミネート[3]