ウィリアム・ペン
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^ ペンとホイッグ党はプロテスタント非国教徒の信教の自由という共通点はあったが、カトリックにも寛容であるべきかそうでないかの違いがあり、ペンは前者でホイッグ党は後者の立場を取っていた。このような違いでもペンはホイッグ党に接近、自身が世間から隠れカトリック教徒と疑いをかけられてもホイッグ党を応援した。岩井、P212 - P213。
^ 当時は文明化の名の下に先住民をキリスト教へ改宗させることが奨励され、ペンシルベニアの特許状でもチャールズ2世の改宗命令が明記されていた。にもかかわらずペンは決して先住民に改宗を強要せず、謙虚な姿勢を貫いて彼等と対等な関係で接した。マーカムに先住民の土地購入を委ねた際、彼に預けた先住民向けのメッセージで友好を呼びかけ、1682年にレニ・レナペ族らインディアンと交渉した時もそうした姿勢が見られ、イングランドのクエーカーへ宛てた1683年8月16日付の手紙で先住民を詳しく紹介、自ら方言を学び彼等の理解に努めるなど、非武装平和主義を貫いたペンの行動はインディアンの信頼を勝ち取り、両者の友好関係は長く保たれペンシルベニアは繁栄を迎えた。ヴァイニング、P201 - P203、P216 - P219、岩井、P221 - P223。
^ ペンのジェームズ2世への接近に対する世間の反感から、かつて噂されていた隠れカトリックの疑惑が再燃、敵からは変節漢だと非難され、味方のはずのクエーカーからも信用されなくなった。後世の歴史家はこのペンの動きについて、信教の自由実現にジェームズ2世と共通点を見出したと解釈、ペン自身も後にそうした趣旨の弁明を書いている。ヴァイニング、P242 - P243、岩井、P224。
^ 1699年、諸経費が積み重なり渡海出来ないほど財産がほとんどなかったペンは、アメリカ再上陸前にイングランドで自分の代理人だったフォードに2800ポンドの借金をして証文に判を押した。内容はペンシルベニアをフォードへ売却したことになっていて、これがフォード一族とのトラブルとなったが、ペンから大金を詐取したフォードの陰謀である見方と、ペンの金銭感覚の無さが招いた自業自得だとする2つの見方がある。ヴァイニング、P275 - P276、P297 - P298、岩井、P226、P232。
脚注^ ヴァイニング、P2 - P25、岩井、P209。
^ ヴァイニング、P25 - P37。
^ ヴァイニング、P37 - P52。
^ ヴァイニング、P53 - P73。
^ a b c d e f g h 松村、P569。
^ a b 亀井、P100。
^ ヴァイニング、P74 - P96、岩井、P209 - P210。
^ ヴァイニング、P96 - P111、岩井、P210。
^ ヴァイニング、P112 - P120。
^ ヴァイニング、P121 - P136、岩井、P210 - P211。
^ ヴァイニング、P136 - P146、岩井、P210 - P212、P230。
^ ヴァイニング、P147 - P172、五十嵐、P30 - P31。
^ ヴァイニング、P172 - P191、岩井、P212 - P214。
^ ヴァイニング、P195 - P199、五十嵐、P31、亀井、P98、岩井、P210。
^ a b c 五十嵐、P32。
^ ヴァイニング、P199、P205 - P207、岩井、P217 - P220。
^ ヴァイニング、P199 - P201、五十嵐、P32、岩井、P212 - P217。
^ 亀井、P100 - P101。
^ ヴァイニング、P201 - P205、P207 - P219、岩井、P220 - P223。
^ ヴァイニング、P235 - P242、浜林、P159、岩井、P223 - P224。
^ ヴァイニング、P242 - P251、浜林、P160 - P162、岩井、P224 - P225。
^ ヴァイニング、P251 - P271、五十嵐、P33 - P34、岩井、P225。
^ ヴァイニング、P271 - P286、亀井、P101。
^ ヴァイニング、P281、P295。
^ Charter of Privileges Granted by William Penn, esq. to the Inhabitants of Pennsylvania and Territories, October 28, 1701, https://avalon.law.yale.edu/18th_century/pa07.asp
^ ヴァイニング、P286 - P297。
^ ヴァイニング、P297 - P302。
^ The Liberty Bell, US History, https://www.ushistory.org/libertybell/
^ ⇒http://www.philadelphiafaithandfreedom.com/williampennstatue
参考文献
新渡戸稲造『ウィリアム・ペン傳(上・下)』新渡戸稲造、北海道、1894年。"ウィリアム・ペンは名家の裔にして数代つづきて高官に任ぜられ皆世に隠れもなき人々なりき"。
ヴァイニング夫人著、高橋たね訳『ウィリアム・ペン 民主主義の先駆者』岩波書店(岩波新書)、1950年。
浜林正夫『イギリス名誉革命史 上巻』未來社、1981年。
五十嵐武士・福井憲彦『アメリカとフランスの革命(世界の歴史21)』中央公論社、1998年。
松村赳・富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。
亀井俊介・鈴木健次監修、遠藤泰生編『史料で読むアメリカ文化史1 植民地時代 15世紀末―1770年代』東京大学出版会、2005年。
岩井淳編『複合国家イギリスの宗教と社会 ―ブリテン国家の創出―』ミネルヴァ書房、2012年。
関連項目
アメリカ合衆国における政教分離の歴史
デラウェア植民地
都市計画家一覧
外部リンク
⇒The LIFE of William Penn by M.L. Weems, 1829. 1829年にフィラデルフィアで初版されたウィリアム・ペンの伝記の無料テキスト版
⇒William Penn, Visionary Proprietor by Tuomi J. Forrest (ヴァージニア大学)
⇒William Penn, America's First Great Champion for Liberty and Peace by Jim Powell
⇒Penn In Pennsylvania
⇒William Penn by Bill Samuel
⇒Penn's Holy Experiment: The Seed of a Nation
⇒"William Penn and his Government", デラウェア史(1609年 - 1888年)(1888年)Thomas J. Scharf著
⇒Penn in the Tower of London
⇒Hidden London Penn in the Tower
⇒Proclamation of Honorary US Citizenship for William and Hannah Penn ロナルド・レーガン大統領著(1984年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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