ウィリアム・バトラー・イェイツ
『デァドラ』(三宅忠明 訳)大学教育出版 2001年
『イエイツ詩抄』 (山宮允訳) 岩波文庫 1946年、復刊1988年ほか
『イエイツ詩選』 (山宮允訳) 吾妻書房 1955年
伝記・評伝イェイツの死の4年後に、ジョセフ・ホーン
(英語版)によってオフィシャルな伝記が書かれた[274]。イェイツの活動は多岐に渡り、交友関係も広く、膨大な書簡があり、伝記の決定版は難航し、2度著名な研究者が着手したが未完に終わり、3度目にロイ・フォスター(英語版)によって完成した[274]。日本は長くイェイツの伝記がなかったが、 2019年に杉山寿美子により日本初の本格的伝記『祖国と詩 W・B・イェイツ』 が出版された[274]。
Joseph Hone. W. B. Yeats, 1865?1939. New York: Macmillan Publishers, 1943.
Terence Brown. The Life of W. B. Yeats: A Critical Biography. Oxford: Blackwell, 1999.
Richard Ellmann. Yeats: The Man and the Masks. Rev. ed. London: Penguin, 1988.
R. F. Foster. W. B. Yeats, A Life, I: The Apprentice Mage, 1865?1914. Oxford and New York: Oxford University Press, 1997.
R. F. Foster. W. B. Yeats, A Life, II: The Arch-Poet, 1915?1939. Oxford and New York: Oxford University Press, 2003.
A. N. Jeffares, W. B. Yeats: A New Biography. London: Hutchinson, 1988.
Frank Tuohy. Yeats, Macmillan, 1976.
リチャード・エルマン(英語版)『ダブリンの4人 ワイルド、イェイツ、ジョイス、そしてベケット』大澤正佳 翻訳, 岩波書店, 1993年
日下隆平『イェイツとその周辺』大学教育出版、1999年
杉山寿美子 『アベイ・シアター アイルランド演劇運動 1904-2004』研究社, 2004年
リチャード・エルマン『イェイツをめぐる作家たち ワイルド、ジョイス、パウンド、エリオット、オーデン』小田井勝彦・グレース宮田 翻訳, 彩流社, 2017年
杉山寿美子 『祖国と詩 W・B・イェイツ』 国書刊行会, 2019年。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 16世紀にヘンリー8世が正式にアイルランド国王とされた以降の移住者。
^ 16世紀にヘンリー8世が正式にアイルランド国王とされた以前の移住者。
^ バトラー家はオールド・イングリッシュで最もイングランド的で、バトラーという性は、先祖がイングランドのプランタジネット朝の王子の執事だったことにちなむ[15]。
^ 別名アングロアイリッシュ・アセンダンシー。
^ モヒニ・チャタジーは熱心な修行僧で、唱道のためにヨーロッパ各地を巡ったが、女性の弟子に取り巻かれるようになり、食欲に取りつかれ、インドに戻されると、弁護士になって成功したという[46]。
^ アシーンやフィン・マックール率いるフェニアン(戦士)たちフィアナ騎士団に関係する物語や詩フィニアン・サイクルは、アイルランドでは最も人気があり、18世紀まで次々と新しい作品が生まれたが、ミホール・コミンの詩はそれに連なる最後のもので、アシーンを主人公として断片的に語り伝えられてきた「浦島伝説」の集大成だった。この作品は、フィニアン・サイクルの掘り起こしと刊行のために設立されたオシアン協会(英語版)の会報誌に掲載され、本協会の発表の場はアイルランド文芸復興の糸口ともなった。[58][59]
^ アシーンはアイルランド伝説に登場する英雄の一人で、妖精に導かれて歓楽の国・恐怖の島・忘却の島などさまざまな土地をめぐったのちに故郷へ戻るが、そのときすでに300年の月日が経っていたことを知る。アシーンが妖精の戒めを破って大地に触れると、彼はただちに白髪の老人に姿を変える。イェイツの詩は、この物語を老いたアシーンがアイルランドで布教していた後の守護聖人パトリックに物語る構成を取っており、アシーンの放浪に託し不老の理想郷への憧れが歌われている[64][38]。
^ 日下隆平の論文では、邦題表記は『アイルランド農民の妖精物語と民話集』[67]、井村の表記は『アイルランド各地方の妖精譚と民話』[68]。
^ オリヴィア・シェイクスピア、モード・ゴン、オーガスタ・グレゴリーは、1911年の詩「友人たち」で、イェイツの人生に最も影響を与えた女友達として歌われている([86]。
^ 隠し子を病気で亡くし失意のどん底にあったモード・ゴンは、交霊会やヴィジョン、あやしげな超能力者に救いを求め、心配したイェイツは黄金の夜明け団に入るよう説得した[102]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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