ウィスコンシン州
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州内で生まれた者は71.7%、国内別の州で生まれた者は23.0%、プエルトリコ、アメリカ領島嶼部、アメリカ人の両親のもとに海外生まれは合わせて0.7%である[39]

ウィスコンシン州の人口の6.4%は5歳以下、25.5%は18歳以下、13.1%は65歳以上である。女性は人口のおおよそ50.6%である。
人種及び祖先

ウィスコンシン州はその設立以来民族的に多様である。フランス人毛皮交易業者の時代に続いて、鉱山労働者の波が訪れ、その多くは州南西部に入ったコーンウォール(イギリス)出身者だった。その次の移民の波は州成立初期にニューイングランドアップステート・ニューヨークからいわゆる「ヤンキー」が多く、重工業、金融、政治と教育を支配した。1850年から1900年の間では多数のヨーロッパ系移民が続き、その中でもドイツ系、北欧系(その中ではノルウェー系が多い)が多く、少数ではベルギー、オランダ、スイス、フィンランド、アイルランド、ポーランド、イタリアなどからの移民がいた。20世紀、大量のメキシコ系やアフリカ系アメリカ人が主にミルウォーキーに入った。さらにベトナム戦争終戦後はミャオ族(モン族)が流入した。

2010年時点で、ウィスコンシン州の人種別の構成は以下の通りである[40]

86.2% 白人(ヒスパニックでは83.3%)

6.3% 黒人

2.3% アジア人

1.0% インディアン

1.8% 混血

5.9% 人種によらずヒスパニック系

2010年に州内で申告された祖先による民族別構成比は以下の通りだった[41][42]。ポーランド出身の比率では国内最大である[41]

42.6% ドイツ系

10.9% アイルランド系

9.3% ポーランド系

8.5% ノルウェー系

6.5% イギリス系

6.1% イタリア系

最新の国勢調査では、この州の白人人口の約半分が、少なくとも一部にドイツ系の血を引くと報告されている。ドイツ系アメリカ人はこの州内で最大の民族集団であり、ウィスコンシン州は合衆国内で最もドイツ系 ("German-American") な州であると広く見なされている(しかし43.9%のドイツ系祖先がいる、ノースダコタ州も、これを主張できる)。減少しているスカンジナビア系の人々、特にノルウェー系はこの州のいくつかの西部地域に多く集中している。様々な民族の集団が州内の様々な地域に入植した。ドイツ系は州全体に入っているが、ミルウォーキーに集中度が高い。ノルウェー系は北部と西部の製材および農業地帯に入った。ベルギー、スイス、フィンランドなどの小さな集団が特定地域に入り、アイルランド、イタリア、ポーランド出身者は主に都市部に入った[43]。アフリカ系アメリカ人は特に1940年から、ミルウォーキーに入ってきた。メノミニー郡はアメリカ合衆国の東半分では唯一インディアン多数の郡である。

アフリカ系アメリカ人の86%はミルウォーキー、ラシーン、ベロイト、ケノーシャの4都市に住んでいる。特にミルウォーキーには州内黒人の4分の3近くが住んでいる。五大湖地方では、ミルウォーキーより高いアフリカ系アメリカ人の構成比を示す都市としてデトロイト市とクリーブランド市があるだけである。

ウィスコンシン州のアジア系人口の33%はミャオ族(モン族)であり、ミルウォーキー、ウォーソーグリーンベイシボイガンアップルトン、マディソン、ラクロスオークレア、オシュコシュ及びマニトワック各市内にかなりの社会を作って暮らしている[44]。これはベトナム戦争後にベトナム人やミャオ族の難民を受け入れた結果である。ローマ・カトリックのシュライン・オブ・アワーレディ・オブ・グアダルーペ、ラクロス市
宗教

ウィスコンシン州の住民の信仰宗派別構成比を下のリストに示す[45]

キリスト教 ? 80%

プロテスタント ? 50%

ルター派教会 ? 23%
アメリカ福音ルター派教会463,432人、ミズーリ・シノッド・ルター派教会241,306人など。

メソジスト ? 7%

バプテスト ? 5%

長老派教会 ? 2%

キリスト合同教会 ? 2%

他のプロテスタントまたは一般的なプロテスタント ? 15%


ローマ・カトリック ? 29%

他のキリスト教 ? 2%


他の宗教 ? 1%

無宗教 ? 15%

インディアン部族ウィスコンシン州のインディアン保留地(五大湖の南西部分)

チッペワ族、フォックス族、ダコタ族ハウサトニック族、イリニ族、アイオワ族、イロコイ族キカプー族、マスコーテン族、マヒカン族、メノミニー族、マイアミ族、ミズーリ族、マンシー族、ノグエト族、オナイダ族、オート族、オッタワ族ポタワトミ族、チオノンタチ族、ウィンネバーゴ族、ソーク族ワイアンドット族など、かつて20を超えるインディアン部族が先住し、ウィグワムの集落を築き、農耕採集生活を営んだ。

19世紀に入ると、アンドリュー・ジャクソン大統領の「インディアン移住法」などの民族浄化政策によって、ソーク族、フォックス族、キカプー族などそのほとんどがオクラホマ州など他州に強制移住させられた。ウィスコンシン州の町「ラクロス」は、インディアンのスポーツであるラクロス競技を由来とする。

1954年にアメリカ連邦議会はウィスコンシン州のメノミニー族の保留地の保留解消法案を可決し、1961年4月30日に正式に「絶滅部族」とした。彼らの保留地は民間の林業企業「メノミニー・エンタープライズ社(MEI)」に売却された。領土を失い貧困のどん底に落ちたメノミニー族は連邦再認定要求を組織化。1973年12月22日、リチャード・ニクソン大統領によって「メノミニー族復活法」が調印され、1954年の保留解消法が撤廃された。1975年1月1日には「メノミニー戦士団(Menominee Warrior Society)」がウィスコンシン州グレシャムの廃修道院を占拠し、部族の医療施設として要求。「アメリカインディアン運動(AIM)」や俳優のマーロン・ブランドも支援籠城し、激しい抗議行動が1か月続いた。1976年、ようやく部族が再公認され、正式に「復活」した。メノミニー族は伝統的に優れた造林技術を持つ部族で、彼らの保留地に1993年に開校された「メノミニー部族大学(CMN)」は、その技術の研究分野でも高い評価を得ている。オナイダ族保留地の給水塔

「ストックブリッジ・インディアン(「マヒカン族」)」は、「モヒカン族」として知られている。彼らを「モヒカン族」としたのは白人作家のジェイムズ・フェニモア・クーパーで、大衆小説「モヒカン族の最後」があまりにも有名になったために、「完全消滅部族」と勘違いされることも多く、彼らの公式HPには、「クーパーという作家が書いた『モヒカン族の最後』という小説の題名に基づく不変の(絶滅部族という)前提のために、我々はときおりうんざりさせられる」と記されている。

現在、アメリカ連邦政府に公認され、保留地を領有する部族は以下の6部族。

≪アメリカ連邦政府が公式認定しているインディアン部族と部族会議≫

「チッペワ族(オジブワ族)」

「赤い崖の部族会議」

「スペリオール湖・チッペワ族・ラ・デュ・フランビュー・バンド」

「スペリオール湖・チッペワ族・ラ・コート・オレイリー・バンド」


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