ウィキペディア日本語版
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2002年9月1日に従来のウィキソフトが改良され、日本語に対応できるようになる[1]。日本人の利用者が徐々に集まり、記事が充実していく。この時期のファイルは現在の日本語版の履歴からも遡れる。国の一覧[18]エスペラント[19]、各々の最古版などから見て取れるように、日本語の母語話者ではない利用者の投稿による項目も多かった(履歴で辿れる最古のメインページでは「ウィキペディア」が「ウィキピディア」になっているなど)。主な分野は日本文化言語・世界地理・プログラミング関連。

同月の内にインターフェースの日本語訳が始まり、年末の時点でWikipedia:編集の仕方(正確にはその前身に当たるWikipedia:How does one edit a page)やGNU FDLが訳された。

12月中旬の時点で登録利用者数は10人程度、総項目数は10件程度であった。
参加者の急激な増加

2003年初頭、インターネットの大きな日本語サイトで相次いでウィキペディアが取り上げられた。これにより数次の急激な利用者増が起こり、ウィキペディア日本語版は、他の言語のウィキペディアにもなかった急激な成長を見せることとなる。
Wired News 日本語版での掲載

2003年1月31日、Wired News 日本語版でウィキペディア(英語版)についての記事が掲載された[20]。これはウィキペディアが日本のマスメディアで紹介された最初の例であると思われる。

これを境に多数の参加者を迎え、Wikipedia:名前空間・Wikipedia:ウィキペディアへようこそ・Wikipedia:基本方針とガイドラインなどプロジェクト関連の文書が本格的に翻訳または作成された。

漫画家都道府県など、項目数が増えた。証券取引などを巡る本格的な項目も出現した。
スラッシュドット現象

2003年2月12日にウィキペディア日本語版は1,000ページを達成した。英語版が奇しくもちょうど2年前に1,000ページを達成している。

1,000ページ達成を受け、コンピュータ関係の有名電子掲示板であるスラッシュドットジャパンにウィキペディア日本語版が紹介された[21]。これにより、この数日後参加者は倍増することとなり、日本においてもウィキペディアにおいてスラッシュドット現象が発生した。

この結果、様々な分野の項目が増加した。主なものとして、物理学生物学情報工学文学音楽ゲームソフト漫画タレント関連などが挙げられる。

また、執筆者にはいわゆるサブカルチャー(殊にアニメ声優日本の鉄道軍事コンピュータゲーム及びゲームソフト)関連分野でのトリヴィアを誇る者、即ちおたくが多く、半ばまとめサイトやデータブック(人物については紳士録、名鑑、言動録)と化した項目があるのも日本語版の大きな特徴であるが、それは、この「スラッシュドット現象」から始まったともいえる。「Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか#関心の偏在」も参照
さらなる成長

ウィキペディアは数度のサーバ故障によるサイトダウンを経験している。2003年4月5日18時08分から4月6日17時37分(いずれも日本時間)の間、ウィキペディアのサーバが故障し、書き込みができなくなった。サーバダウンは後に、2003年12月・2004年6月、および2005年2月にも起こっている。

しかし大勢においては、このような事故はウィキペディアの拡大には影響を及ぼしていない。10000項目を超える頃から、ウィキペディア日本語版はほぼ同じペースの成長率で項目を増大させていき、数ある小さなプロジェクトの一つから、ウィキペディアプロジェクト有数の規模を誇る代表的なプロジェクトへと発展していった。
大規模DBクラッシュ

2003年12月、ウィキペディアを提供していた3台のサーバが故障した。このため数日全言語および各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。利用者の一部は寄付を行ってサーバ購入費用を提供した。

2004年6月7日未明、ウィキペディアなどのデータベースサーバが故障し、翌日12時前まで全言語および各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。このクラッシュの直前のごく一部の編集だけが失われた状態で復活している。

2005年2月22日の日本時間7時15分、データセンターの内部で停電が起こり、全言語版が停止した。当日中に読み出し専用状態に回復したものの、書き込みが可能となったのは翌23日の日本時間7時25分頃だった。
成長の軌跡記事数と毎月の増加数の推移。Wikipedia:日本語版の統計による。

2003年3月23日にはウィキペディア日本語版の項目数は5,000項目を達成し、さらに6月15日には10,000項目を達成した。1,000項目から10,000項目までの増加に要した日数は4か月と3日間であり、これは英語版よりも早いペースであった。2003年の間に項目数は72項目から24,242項目へと約337倍に増加した。2003年12月にはウィキペディア日本語版の項目数がフランス語版ウィキペディアを抜き、英語版ドイツ語版に次いで全言語版中3位になった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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