同月の内にインターフェースの日本語訳が始まり、年末の時点でWikipedia:編集の仕方(正確にはその前身に当たるWikipedia:How does one edit a page)やGNU FDLが訳された。
12月中旬の時点で登録利用者数は10人程度、総項目数は10件程度であった。 2003年初頭、インターネットの大きな日本語サイトで相次いでウィキペディアが取り上げられた。これにより数次の急激な利用者増が起こり、ウィキペディア日本語版は、他の言語のウィキペディアにもなかった急激な成長を見せることとなる。 2003年1月31日、Wired News 日本語版でウィキペディア(英語版)についての記事が掲載された[20]。これはウィキペディアが日本のマスメディアで紹介された最初の例であると思われる。 これを境に多数の参加者を迎え、Wikipedia:名前空間
参加者の急激な増加
Wired News 日本語版での掲載
漫画家・都道府県など、項目数が増えた。証券取引などを巡る本格的な項目も出現した。 2003年2月12日にウィキペディア日本語版は1,000ページを達成
スラッシュドット現象
1,000ページ達成を受け、コンピュータ関係の有名電子掲示板であるスラッシュドットジャパンにウィキペディア日本語版が紹介された[21]。これにより、この数日後参加者は倍増することとなり、日本においてもウィキペディアにおいてスラッシュドット現象が発生した。
この結果、様々な分野の項目が増加した。主なものとして、物理学・生物学・情報工学・文学・音楽・ゲームソフト・漫画・タレント関連などが挙げられる。
また、執筆者にはいわゆるサブカルチャー(殊にアニメや声優・日本の鉄道・軍事・コンピュータゲーム及びゲームソフト)関連分野でのトリヴィアを誇る者、即ちおたくが多く、半ばまとめサイトやデータブック(人物については紳士録、名鑑、言動録)と化した項目があるのも日本語版の大きな特徴であるが、それは、この「スラッシュドット現象」から始まったともいえる。「Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか#関心の偏在」も参照 ウィキペディアは数度のサーバ故障によるサイトダウンを経験している。2003年4月5日18時08分から4月6日17時37分(いずれも日本時間)の間、ウィキペディアのサーバが故障し、書き込みができなくなった。サーバダウンは後に、2003年12月・2004年6月、および2005年2月にも起こっている。 しかし大勢においては、このような事故はウィキペディアの拡大には影響を及ぼしていない。10000項目を超える頃から、ウィキペディア日本語版はほぼ同じペースの成長率で項目を増大させていき、数ある小さなプロジェクトの一つから、ウィキペディアプロジェクト有数の規模を誇る代表的なプロジェクトへと発展していった。 2003年12月、ウィキペディアを提供していた3台のサーバが故障した。このため数日全言語および各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。利用者の一部は寄付を行ってサーバ購入費用を提供した。 2004年6月7日未明、ウィキペディアなどのデータベースサーバが故障し、翌日12時前まで全言語および各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。このクラッシュの直前のごく一部の編集だけが失われた状態で復活している。 2005年2月22日の日本時間7時15分、データセンターの内部で停電が起こり、全言語版が停止した。当日中に読み出し専用状態に回復したものの、書き込みが可能となったのは翌23日の日本時間7時25分頃だった。 2003年3月23日にはウィキペディア日本語版の項目数は5,000項目を達成
さらなる成長
大規模DBクラッシュ
成長の軌跡記事数と毎月の増加数の推移。Wikipedia:日本語版の統計による。