また記事の増加が著しかった時期によく見られた1人の利用者が速いペースで次々に記事を編集していく行為は少しずつ鳴りを潜めていっていることが窺える。2009年に行われたWikipedia創始者ジミー・ウェールズのカンファレンス(Wikimedia Conference Japan 2009)では、ほかの言語版と異なり作成されるページの8割がpopculture(大衆文化)であることが指摘された[12]。 言語間リンク 他言語版の上位10のうち7言語版は、その言語の主な使用国内に個別の協会(ウィキメディア財団#ローカル・チャプター)を持つのに対し、日本語を主に使用する日本国内には国別協会がない。管理者陣は単なるユーザーグループで、多くが匿名である(→Wikipedia:日本語版ユーザーグループ 発足当時の日本語版[14]。 英語版をベースに始まったウィキペディアが多言語化に乗り出したのは2001年の5月頃である[15]。2001年5月20日に日本語版を含む13の非英語版サイトが発足した[16]。 発足当初のURLには http://ja.wikipedia.com/ と http://nihongo.wikipedia.com/ が使われていた形跡がある。 当初のメインページは irrashaimase! で始まる全文ローマ字だった。残されている履歴情報から、3月から4月にかけてすでに数度の編集を経ていることが分かる[17]。このため、英語版内部などで開発された可能性も考えられる。 最初の項目は 「日本語の音素論」という意味だと思われるNihongo No Funimekusu と題されたもので、日本語の音素(英: Phonemics → Funimekusu)が仮名と必ずしも一対一対応の関係にないことを示した記事だが、これもローマ字で書かれていた。投稿者は RoseParks(英語版の初期メンバーの一人)で、投稿時期は4月初め頃の間、つまりウェブサイトがテスト段階にあった頃と思われる[注釈 6]。 12月下旬時点での総ページ数は、2ページに留まった。 その当時使われていたウィキソフトは日本語に対応していなかったので、記事はローマ字表記で書かれ、項目も23個ほどであった[1]。 2002年9月1日に従来のウィキソフトが改良され、日本語に対応できるようになる[1]。日本人の利用者が徐々に集まり、記事が充実していく。この時期のファイルは現在の日本語版の履歴からも遡れる。国の一覧[18]やエスペラント[19]、各々の最古版などから見て取れるように、日本語の母語話者ではない利用者の投稿による項目も多かった(履歴で辿れる最古のメインページでは「ウィキペディア」が「ウィキピディア」になっているなど)。
連携
運営
歴史
2001年01月15日 -(英語版ウィキペディア発足)
2001年05月20日 - ウィキペディア日本語版発足(日本語の文字が使用できなかったため当初はローマ字表記)
2002年09月01日 - 日本語版で日本語の文字(かな・漢字等)が利用可能に
2003年09月09日 - 1万項目達成
2004年05月26日 - 5万項目達成
2004年09月01日 - 第1回メインページデザイン変更
2004年09月09日 - 「第2回Webクリエーションアウォード 特別賞」を受賞。
2005年02月11日 - 10万項目達成
2006年04月09日 - 20万項目達成
2006年12月06日 - 「Web of the Year 2006」総合大賞およびウェブ情報源部門1位を受賞。
2006年12月15日 - 30万項目達成
2007年03月24日 - 第2回メインページデザイン変更
2007年08月10日 - 40万項目達成
2007年12月21日 - 「Web of the Year 2007」総合大賞およびウェブ情報源部門1位を受賞。
2008年06月25日 - 50万項目達成
2009年06月15日 - ライセンス変更(従来のGFDLに加えてCC BY-SAでも利用可能に)
2009年07月08日 - 60万項目達成
2010年06月10日 - ロゴおよびインターフェイスの変更
2010年08月31日 - 70万項目達成(日本時間9月1日)
2012年04月03日 - 80万項目達成
2013年02月01日 - 第3回メインページデザイン変更
2014年03月14日 - 90万項目達成(日本時間3月15日)
2016年01月19日 - 100万項目達成
2018年03月22日 - 110万項目達成
2020年04月13日 - 120万項目達成
2021年11月12日 - 130万項目達成
2024年01月15日 - 140万項目達成
発足当時
日本語化