ウィキペディア日本語版
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全体的な傾向としては、年々減少を続け、特に2013年5月からは2006年3月以来保っていた月間編集30万回を割り込むようになった[11]。さらに2013年8月以降には25万回台の月が何度も現れるようになった[11]。これらのことから、日本語版は一時的な活動活発化が見られることはあるものの、全体的な活動低下傾向が長く続いていることが分かる。

また記事の増加が著しかった時期によく見られた1人の利用者が速いペースで次々に記事を編集していく行為は少しずつ鳴りを潜めていっていることが窺える。2009年に行われたWikipedia創始者ジミー・ウェールズのカンファレンス(Wikimedia Conference Japan 2009)では、ほかの言語版と異なり作成されるページの8割がpopculture(大衆文化)であることが指摘された[12]
連携

言語間リンクが同規模の他言語版に比べると少ない[13]。2009年8月時点の日本語版の言語間リンクは320万リンクであり、内部リンク数上位10言語版のうち最下位である[13]。2008年10月20日現在の記事のダンプデータによると、言語間リンクを一つも有しない記事は約28万件あり、当時の総記事数約51万件[注釈 4]の半数以上に上る[注釈 5]。これは日本特有の事象を挙げた記事が多いのも一つの要因である。また、日本語がラテン文字を使わない言語であるために、他言語版の執筆者が日本語版の記事名および記事本体をまったく読めず、他プロジェクトからの支援を受けにくいという事情もある。
運営

他言語版の上位10のうち7言語版は、その言語の主な使用国内に個別の協会(ウィキメディア財団#ローカル・チャプター)を持つのに対し、日本語を主に使用する日本国内には国別協会がない。管理者陣は単なるユーザーグループで、多くが匿名である(→Wikipedia:日本語版ユーザーグループ)。
歴史

2001年01月15日 -(英語版ウィキペディア発足)

2001年05月20日 - ウィキペディア日本語版発足(日本語の文字が使用できなかったため当初はローマ字表記)

2002年09月01日 - 日本語版で日本語の文字(かな・漢字等)が利用可能に

2003年09月09日 - 1万項目達成

2004年05月26日 - 5万項目達成

2004年09月01日 - 第1回メインページデザイン変更

2004年09月09日 - 「第2回Webクリエーションアウォード 特別賞」を受賞。

2005年02月11日 - 10万項目達成

2006年04月09日 - 20万項目達成

2006年12月06日 - 「Web of the Year 2006」総合大賞およびウェブ情報源部門1位を受賞。

2006年12月15日 - 30万項目達成

2007年03月24日 - 第2回メインページデザイン変更

2007年08月10日 - 40万項目達成

2007年12月21日 - 「Web of the Year 2007」総合大賞およびウェブ情報源部門1位を受賞。

2008年06月25日 - 50万項目達成

2009年06月15日 - ライセンス変更(従来のGFDLに加えてCC BY-SAでも利用可能に)

2009年07月08日 - 60万項目達成

2010年06月10日 - ロゴおよびインターフェイスの変更

2010年08月31日 - 70万項目達成(日本時間9月1日)

2012年04月03日 - 80万項目達成

2013年02月01日 - 第3回メインページデザイン変更

2014年03月14日 - 90万項目達成(日本時間3月15日)

2016年01月19日 - 100万項目達成

2018年03月22日 - 110万項目達成

2020年04月13日 - 120万項目達成

2021年11月12日 - 130万項目達成

2024年01月15日 - 140万項目達成

発足当時

発足当時の日本語版[14]

英語版をベースに始まったウィキペディアが多言語化に乗り出したのは2001年の5月頃である[15]2001年5月20日に日本語版を含む13の非英語版サイトが発足した[16]

発足当初のURLには http://ja.wikipedia.com/ と http://nihongo.wikipedia.com/ が使われていた形跡がある。

当初のメインページは irrashaimase! で始まる全文ローマ字だった。残されている履歴情報から、3月から4月にかけてすでに数度の編集を経ていることが分かる[17]。このため、英語版内部などで開発された可能性も考えられる。

最初の項目は 「日本語の音素論」という意味だと思われるNihongo No Funimekusu と題されたもので、日本語の音素(英: Phonemics → Funimekusu)が仮名と必ずしも一対一対応の関係にないことを示した記事だが、これもローマ字で書かれていた。投稿者は RoseParks(英語版の初期メンバーの一人)で、投稿時期は4月初め頃の間、つまりウェブサイトがテスト段階にあった頃と思われる[注釈 6]

12月下旬時点での総ページ数は、2ページに留まった。

その当時使われていたウィキソフトは日本語に対応していなかったので、記事はローマ字表記で書かれ、項目も23個ほどであった[1]
日本語化

2002年9月1日に従来のウィキソフトが改良され、日本語に対応できるようになる[1]。日本人の利用者が徐々に集まり、記事が充実していく。この時期のファイルは現在の日本語版の履歴からも遡れる。国の一覧[18]エスペラント[19]、各々の最古版などから見て取れるように、日本語の母語話者ではない利用者の投稿による項目も多かった(履歴で辿れる最古のメインページでは「ウィキペディア」が「ウィキピディア」になっているなど)。主な分野は日本文化言語・世界地理・プログラミング関連。

同月の内にインターフェースの日本語訳が始まり、年末の時点でWikipedia:編集の仕方(正確にはその前身に当たるWikipedia:How does one edit a page)やGNU FDLが訳された。

12月中旬の時点で登録利用者数は10人程度、総項目数は10件程度であった。
参加者の急激な増加

2003年初頭、インターネットの大きな日本語サイトで相次いでウィキペディアが取り上げられた。これにより数次の急激な利用者増が起こり、ウィキペディア日本語版は、他の言語のウィキペディアにもなかった急激な成長を見せることとなる。
Wired News 日本語版での掲載

2003年1月31日、Wired News 日本語版でウィキペディア(英語版)についての記事が掲載された[20]。これはウィキペディアが日本のマスメディアで紹介された最初の例であると思われる。

これを境に多数の参加者を迎え、Wikipedia:名前空間・Wikipedia:ウィキペディアへようこそ・Wikipedia:基本方針とガイドラインなどプロジェクト関連の文書が本格的に翻訳または作成された。

漫画家都道府県など、項目数が増えた。証券取引などを巡る本格的な項目も出現した。
スラッシュドット現象

2003年2月12日にウィキペディア日本語版は1,000ページを達成した。英語版が奇しくもちょうど2年前に1,000ページを達成している。

1,000ページ達成を受け、コンピュータ関係の有名電子掲示板であるスラッシュドットジャパンにウィキペディア日本語版が紹介された[21]。これにより、この数日後参加者は倍増することとなり、日本においてもウィキペディアにおいてスラッシュドット現象が発生した。

この結果、様々な分野の項目が増加した。主なものとして、物理学生物学情報工学文学音楽ゲームソフト漫画タレント関連などが挙げられる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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