ウィキソース
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2006年5月10日にはフランス語版においてウィキソース上のポータルが初めて作成された[13]
収集対象ウィキソースの収集基準をベン図で示す。緑は3つの要件をすべて満たす収集に最適なもの。黄色は理想的とは言えないが収集の対象と認められるもの。

ウィキソースはすでに公表済みである、小説やノンフィクションの作品、書簡、スピーチ、憲法や歴史的な文書、法令など多岐にわたる文書をデジタル化して収集している。これら収集された文書は著作権フリーまたはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (CC BY-SA) のライセンスの下、公開されている[2]。各言語への翻訳も受け入れられている。文書以外にも漫画や映画、録音されたものあるいは朗読作品などが収集されている[2]。ウィキソースの収集対象は事前に公開されているものに限られ、また自費出版社の書籍や編集者のオリジナルのテキストは対象とならない[2][14][15][16][17]

テキストのスキャンデータは多くのウィキソースで歓迎され、また必須とされる場合もある。しかしながらほとんどのウィキソースでは電子化されていない書籍などから、または他の電子図書館のデータから転写されたものも受け入れられている[2]。著名な歴史的かつ重要な文書である場合、すでに公表済みの文書であるという要件も少数ではあるが免除されている。この場合も著作権フリーまたはCC BY-SAライセンスの下で公開できることといった法的要件は変わらない。

未公表のオリジナルなテキストとして認められているものは文書の注釈および翻訳のみである[18]。ウィキソースおよび姉妹プロジェクトのウィキブックスではテキストの注釈版を作成することができる。ウィキソースにおいては注釈は原文を補うことであり、プロジェクトの主要な目的はやはり原文にある。対照的に、ウィキブックスでは注釈が主要な要素であり、原文というものが存在したとしても、それはただの参考文献または補足要素に過ぎない[17]。注釈版はドイツ語版ウィキソースでは一般的である[17]。プロジェクトでは利用者による翻訳も受け入れており、英語版ウィキソースにおいては、聖書の「自由放任な翻訳」を作成することを目的とした「Wiki Bible」というウィキソース内のプロジェクトが存在し、多数の翻訳を作成している[19]
構成
各言語版

ヘブライ語版ウィキソースは2004年8月にウィキソースから分割された。ヘブライ語では文章はもっぱら右から左に向けて書かれるため編集が困難なことから独立した言語版となった。翌月にはドイツ語をはじめ、他の言語の利用者も独自のウィキを希望するようになったが、12月に実施された各言語版を作成することについての投票では結論は出なかった。最終的には2回目の投票が行われ、2005年5月12日に各言語ごとにサブドメインを設置する案が賛成多数で可決された[20]

第一段階として2005年8月23日にメディアウィキのリード・デベロッパー Brion Vibber によって14の言語版が分割された[21]。この時点では英語版は分割されなかったが、リンクを en: とした場合はメインサイトである wikisource.org に転送されるようになっていた。

続く第二段階の移動に備え、カテゴリの整理やページの整列順などがウィキソースコミュニティの大規模な手作業で行われていった。2005年9月10日から11日にかけて、英語版および日本語版を含む9つの言語版が設置された[22]

2006年3月29日には新たに3つの言語版が作成され[23]、2006年6月2日には14言語版が作成された[24]。2016年の時点では60以上のサブドメインを持つウィキソースが存在し[25]、他にも試験運用中のサブドメインを持たない wikisource.org でホストされる言語が存在する。
wikisource.org

各言語はサブドメインへと移行していったが、wikisource.org は以下に挙げる3つの理由によりウィキとしての機能を保ち続けるよう要求された。
ウィキソースプロジェクトの多言語共用サイトとなるため。実際には各言語ごとにサブドメインに移行してからは多言語共用サイトの重要性は大きくなかった。しかしながら、Scriptorium(書写室)というページ
[26]において方針についての議論が行われていたり、各言語版の更新についてのニュースやマイルストーンが書き込まれている。

サブドメインを持たない言語版のホームページ、メインページとしての役割[27]。独立したウィキソースになる前のインキュベーター、試験運用サイトとして、サブドメインを持たない30言語以上のサイトがホームページとして利用している。これらの中には非常に活発な言語も存在し、何百(エスペラントヴォラピュク)または1,000以上のテキストを収蔵している言語(ヒンディー語)も存在する。

多言語ポータルとして直接的・継続的なコミュニティーの発展に寄与するため。現在のメインページは2005年8月26日に、Thomas V によってウィキペディアポータルを参考に作成された。

プロジェクト共有ウィキのアイデアはウィキソースで初めて認識されるようになったが、ウィキメディアのプロジェクトであるウィキバーシティのベータウィキでも採用されていた。ウィキバーシティではウィキソース同様、全言語の共有サイト、またインキュベーターとして利用されていた。ただし、そのメインページは多言語ポータルとしては利用されていなかった[28]
評価

ラリー・サンガーはウィキソースおよびウィクショナリーを批判しており、その理由としてプロジェクトが共同作業という性質上、専門家による監修がなされておらず、したがってコンテンツが信頼のできるものではないからとしている[29]

新約聖書の研究家であり、ノースカロライナ大学チャペルヒル校で神学の教授を務めるバート・D.アーマン(英語版)は、英語版ウィキソースのプロジェクトによって作られたウィキソース独自の翻訳がなされた聖書を批判している。アーマンは「民主化は学問においては必ずしも良いこととは言えない」と述べている[19]。旧約聖書の研究家でジョージア大学ユダヤ教について教授しているリチャード・エリオット・フリーマンは、創世記の翻訳において誤りがあることを指摘した[19]

2010年、ウィキメディア・フランスとフランス国立図書館(BnF)はBnFの電子図書館ガリカのスキャンデータをフランス語版ウィキソースに提供することに同意した。1,400のパブリックドメインとなっているテキストがウィキメディア・コモンズにアップロードされ、ウィキソースにおいて利用されている。OCRによって電子化されたテキストが人間の目によって、その質が改善されることが期待されている[30][31][32]

2011年、アメリカ国立公文書記録管理局 (NARA) は「所蔵物へのアクセスと可視性を高める」事業(パブリック・アクセス事業)の一環として英語版ウィキソースに多数の良質なスキャンデータを提供した。NARAが所蔵する文書および画像のウィキメディア・コモンズへのアップロードにおいて、NARAのウィキペディアン・イン・レジデンス、ドミニク・マクデヴィット=パークスの寄与があった。多くの文書が転記されウィキソースの利用者によって校正が行われた[33]。また、NARAのオンライン・カタログからウィキソースへのリンクが行われている[34]
関連項目

プロジェクト・グーテンベルク - 電子図書館の先駆け。ウィキソースの旧名プロジェクト・ソースバーグのモデル。

青空文庫 - 主にパブリックドメインの日本語文書を収集している。

プロジェクト杉田玄白 - 外国語の文書の翻訳プロジェクト。

物語倶楽部 - 主にパブリックドメインの翻訳文書を公開している。

インターネットアーカイブ - パブリックドメインの書籍などを収集・公開している。

出典[脚注の使い方]^ “Transcribe 。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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