作風にはアディブ・ニサーブリやアミール・ニザーミー・ガルシのほか、アブ・ル・カーセム・カーエム・マカム・ファラーハーニ(Abu'l-Q?sem Q?'em Maq?m Far?h?ni)からの影響が見られる[3]。 『イーラジ・ミールザー詩集』には約5000句が収められており、以下の詩はこれに所収されている[9][6]。 イーラジが活動した時代は、19世紀のナーセロッディーン・シャーの治世末期まで厚遇されてきた宮廷詩人が、19世紀末にイラン立憲革命の波が高まる中で没落し、これに代わり専制政治の打破や社会の改革、愛国心などを同胞に強く訴える詩人たちが隆盛を迎えていた。詩の発表媒体も、従来の狭い宮廷の文学サロンに代わって、立憲革命後に検閲の廃止により発行が自由化された新聞や雑誌が大きな役割を果たすようになった。この結果、ペルシャの詩は一部の貴族階級のためのものから一般民衆のためのものへ変容し、伝統的にこよなく詩を愛好するイラン国民に対して、散文に劣らず詩が国民の覚醒や鼓舞を促す大きな影響を与えることとなった。この時代を境にペルシャ詩人の性格や詩の内容は大きく変化し、ペルシャ詩は新しい時代を迎えることとなった。イーラジはこの潮流の一人に位置付けられる[6]。
代表作
「アーレフの書」(?ref-n?me, 1920)
カーエム・マカーム
「ベールの書」(Hij?b-n?me)
「母の書」(Madar-n?me)
女性解放、母性愛をテーマとしている。特に「母の書」は名作とされる[5][7][6]。
「文学の革命」(Enqel?b-e adabi)
文学改革の必要性を説く[5][6]。
背景
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e 『集英社世界文学大事典 1』(1996)。
^ a b c 『世界大百科事典 2』(1988/2007)。
^ a b c d e f Behrooz Mahmoodi-Bakhtiari, "IRAJ MIRZ?
^ 曾孫にあたる。
^ a b c d 『日本大百科全書 2』(1985)。
^ a b c d e f g 黒柳『ペルシア文芸思潮』(2022)。
^ a b c 『ブリタニカ国際大百科事典 1』(1972/1991)。