平易、流麗、簡素なスタイルで作詩した最初の詩人とされる。俗語も取り入れながら、それでいて優雅で力強く、後のペルシャの詩人にも大きな影響を与えた。
イランの政治や社会への風刺、宗教指導者の偽善を暴露、ヒジャブ着用反対など女性の解放、児童教育の必要性を訴える一方、母性の偉大さを讃えている[1][2]。
作風にはアディブ・ニサーブリやアミール・ニザーミー・ガルシのほか、アブ・ル・カーセム・カーエム・マカム・ファラーハーニ(Abu'l-Q?sem Q?'em Maq?m Far?h?ni)からの影響が見られる[3]。 『イーラジ・ミールザー詩集』には約5000句が収められており、以下の詩はこれに所収されている[9][6]。
代表作
「アーレフの書」(?ref-n?me, 1920)
カーエム・マカーム
イーラジが活動した時代は、19世紀のナーセロッディーン・シャーの治世末期まで厚遇されてきた宮廷詩人が、19世紀末にイラン立憲革命の波が高まる中で没落し、これに代わり専制政治の打破や社会の改革、愛国心などを同胞に強く訴える詩人たちが隆盛を迎えていた。詩の発表媒体も、従来の狭い宮廷の文学サロンに代わって、立憲革命後に検閲の廃止により発行が自由化された新聞や雑誌が大きな役割を果たすようになった。この結果、ペルシャの詩は一部の貴族階級のためのものから一般民衆のためのものへ変容し、伝統的にこよなく詩を愛好するイラン国民に対して、散文に劣らず詩が国民の覚醒や鼓舞を促す大きな影響を与えることとなった。この時代を境にペルシャ詩人の性格や詩の内容は大きく変化し、ペルシャ詩は新しい時代を迎えることとなった。イーラジはこの潮流の一人に位置付けられる[6]。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e 『集英社世界文学大事典 1』(1996)。
^ a b c 『世界大百科事典 2』(1988/2007)。
^ a b c d e f Behrooz Mahmoodi-Bakhtiari, "IRAJ MIRZ?