1440年、ヘンリー6世により創立[3]。もとは70人の貧しい少年たちに無料で学問を施すために設立された。彼らはその後、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジ(同じくヘンリー6世が1441年に設立したイートン校の姉妹校)に進学することとなる。イートン校設立の際、学生の半分と校長はウィンチェスター校(1382年創立)から招聘され、以後ウィンチェスター校を手本にイートン・コレッジは成長し、17世紀には有名校となった。
ヘンリー6世は学校に多大な寄付をした。広大な敷地、驚くべき規模の建物、いくつかの聖遺物(おそらく、聖十字架の一部や茨の冠の一部)などである。また、教皇を説得して、生徒にイングランド内で聖母被昇天の祭日に苦行者に贖宥状を発行できる特権を与えさせた。
しかし、ヘンリー6世が1461年にエドワード4世によって追放されたあと、エドワード4世は学校に対するすべての寄付を破棄して、資産や聖遺物のほとんどをテムズ川対岸のウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に持ち去った。伝説では、エドワードの愛人であったジェーン・ショアが学校に介入して多くのものを守ったが、王の遺産と教師の数は非常に削られた。
資産も奪われ、しかも壮大な校舎がまだ建設中だったため、財政は極めて厳しくなった。礼拝堂や校舎の計画を縮小しつつ、多くの聖職者や貴族らが寄付をして建築は進められ、その際寄付者の名前が栄誉を称えて校舎のあちこちに付くこととなった。19世紀、測量技師としてイートンに来た建築家ジョン・ショーJr.は生徒の生活改善のためコレッジの新しい一部を建設した。
ナポレオンを破った著名な軍人である初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーが.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}ワーテルローの戦いはイートン校の運動場で勝ち取られた
と言った話は広く知られている。しかし、ウェルズリーはイートン校に入学したが、学費不足と不熱心さのため退学している。実際には、英国生まれのフランス人で、19世紀の自由主義的なカトリック指導者であったシャルル・ド・モンタランベール伯爵の言葉である[4]。もっとも、ウェルズリーがイートン校で人気があったのは事実で、彼は晩年何度もイートンを訪れている。 都立日比谷高校、都立大学附属高校、静岡県立浜松西高・中等部、愛知県立刈谷高校、京都府立洛北高・附属中、熊本県立熊本高校[5]、武蔵高・中、早稲田中・高、市川中・高、三田学園中・高[6]など、戦前の旧制中学校時代から当時の新教育運動(日本では「大正自由教育運動」)真っ只中にあったイートン校ないしパブリックスクールをモデルにしていると称する学校は日本に数多い。 中でも愛知県第八中学校(現・愛知県立刈谷高校)は初代校長羽生隆が「イートンに学べ。東洋のイートンたれ。」と掲げ学校運営を行い、野球を禁じてサッカーとマラソンを校技とし、さらに生徒用の寄宿舎を同校の敷地内に整備した(現在はない)。同校は1988年以来、イートン校と正式に交換留学を行っている[7]。 現代でも、都立秋川高校、東京都八王子市の穎明館中・高、愛知県蒲郡市の海陽学園中教、名古屋市の名古屋中・高、三重県の青山高校[8]、桜丘中・高[9]、兵庫県の自由ヶ丘高校[10]、石川県の旧叡明館中・高など数多い。 イートン校と同じく、英国国教会をルーツとする立教新座中学校・高等学校(前・立教高校)では、イートン校から学生を受け入れるなどの国際交流を行っている[11]。同校の姉妹校で、立教高校元校長の縣康が英国に創設した立教英国学院も、イートン校を始めとするボーディングスクールをモデルとして設立されている[12]。 夏休みの寮生が帰省する期間を利用し毎年日本の高校から男女320人を上限として受け入れ、サマースクールを開催している。18日間を通じて英語と英国文化を学び、英語での50時間のTEFL(Teaching English as a Foreign Language)の授業も含まれる。 東京都 神奈川県 千葉県 愛知県 大阪府 岡山県
出身者「Category:イートン・カレッジ出身の人物」を参照
日本との関わり
イートン・カレッジサマースクール
参加校
巣鴨中学校・高等学校
学習院女子中・高等科
穎明館中学・高等学校
桐光学園中学校・高等学校
北鎌倉女子学園中学校・高等学校
市川中学校・高等学校
海陽中等教育学校
金城学院中学校・高等学校
名古屋中学校・高等学校
金蘭千里中学校・高等学校
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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