名詞は男性名詞か女性名詞に分類され、限られた範囲で中性名詞が認められている。単数と複数のそれぞれで、主格, 属格, 与格, 対格, 奪格の5つの格を持つ。定冠詞を取らない名詞では主格と対格が一致し、属格, 与格, 奪格も一致する。形容詞は格変化せず、性と数に対応して変化するタイプとしないタイプがある。変化するタイプでも性と数のどちらかのみに対応するものも多く、4種類の変化をするのは不規則な形容詞がほとんどである。能動形を基本として多くの動詞が中動・受動態をもつ。法に直接法、接続法、条件法、願望法、感嘆法、命令法があり時称、態との関係は複雑である[53]。
アルバニア語はバルカン言語連合に属するとされている。系統的な関係とは別に接触による収束が起こるもので、幅広い文法上の共通性が見られる。直野によれば特にルーマニア語と平行する点が多いという。数詞にはスラヴ語の影響が見られ、また15~16世紀にトルコ語とギリシア語から受けた影響が研究対象になっている[53]。
ケルト語派「ケルト語派」も参照
ケントゥム語群。イタリック語派と類似点が多い。前1000年代には中部ヨーロッパに広く分布していたが、現在はブリターニュ地方、アイルランド島やブリテン島ウェールズ地方、スコットランド地方などのみである。近年、マン島語、コーンウォール語が復活している他、スコットランドゲール語もスコットランドの公文書で使用されるようになっている。
ゲール諸語 - ケルト祖語の[kw]をそのまま保っている諸語。このためQケルト語とも呼ばれる。
アイルランド語
マン島語(マンクス語、マン島ゲール語とも)
スコットランド・ゲール語など
ブリソン諸語 - [kw]が合体して[p]に変わった諸語。このためPケルト語とも呼ばれる。
ブルトン語
ウェールズ語
コーンウォール語(ケルノウ語とも)
大陸ケルト諸語
ガリア語?
ルシタニア語?
古代リグリア語?
イタリック語派21世紀のイタリック語派の分布。スペイン語:緑、ポルトガル語:橙、フランス語:青、イタリア語、黄、ルーマニア語:赤、カタルーニャ語:紫「イタリック語派」も参照
オスク・ウンブリア語群 - ローマ帝国以前にイタリア半島中部に存在した。オスク語?、ウンブリア語?など
ラテン・ファリスク語群
ファリスク語?
ラテン語
ロマンス諸語 - 俗ラテン語から派生した諸言語
東ラテン諸語 - 名詞の複数形を作るとき、母音を変える諸語。イタリア語、コルシカ語、ルーマニア語、レト・ロマン語(ロマンシュ語、フリウリ語、ドロミテ語)、ダルマチア語?など
西ラテン諸語 - 名詞の複数形を作るとき、語尾に"-s"を付ける諸語。フランス語、サルデーニャ語、アオスタ語、ワロン語、クレオール、オック語、カタルーニャ語、アストゥリアス語、アラゴン語、スペイン語(カスティーリャ語)、ポルトガル語、ガリシア語、リグリア語
ヨーロッパ大陸の中央部でゲルマン語やケルト語と隣接していたが、紀元前2千年紀の終りに近いころ北からイタリア半島に侵入し、前1000年ごろ南下してラティウムに定住した[55]。紀元前10世紀のイタリア半島ではオスク語、ウンブリア語、ギリシア語のほかエトルリア語、ヴェネト語が地域によって分布していた[55][56][57]。
古代のイタリック語派にはオスク語、ウンブリア語、ラテン語、ファリスク語があり、オスク・ウンブリア語群とラテン・ファリスク語群に分類される[58]。ラテン語は、ローマ建国のころには既にラティウムに定着していた。ラテン語は、こういったラテン人の諸言語の一つでしか無かったが、ローマの拡大に伴い勢力を増し、オスク・ウンブリア語やファリスク語だけでなくケルト諸語やイベリア語を置き換えて広範な分布に至った[55]。ラテン語の最古文献は前6世紀末ごろ[58]であり、とくにローマのラテン語は前5世紀に記録されている[55]。
文学作品が生まれる前、すなわち前3世紀後半に至るまでのラテン語は古ラテン語と呼ばれ、碑文と古典期の作家による引用で知られる[55]。古典ラテン語は、広義には前3世紀末から後2世紀まで、狭義には特に前1世紀のラテン語の文語を指す[注 7]。狭義の古典ラテン語はラテン文学の黄金時代に対応している。散文はキケロの雄弁論にはじまり、カエサル『ガリア戦記』やティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』など、韻文ではルクレティウス、ウェルギリウスやオウィディウスらが多様な作品を残した。古典ラテン語は後の時代においても模範とされている[55][60]。ラテン文学が陰りを見せてから西ローマ帝国が崩壊するまでのラテン語を後期ラテン語という[61]。3世紀以降、ローマ帝国でキリスト教が公認され、ラテン語はカトリック教会と結びついた。そのため後期ラテン語の時期は、ヒエロニムスによるラテン語訳聖書がなされるなど教会ラテン語が盛んになった時代でもあった。
文学の興隆と同じくして文語と口語が乖離していき、およそBC200年からAD600年ごろまでの口語を俗ラテン語[注 8][62]という。西ローマ帝国は5世紀に瓦解し、俗ラテン語のグループは分断された。俗ラテン語の文献資料は限られるが、プロブスによる用例集[63]、ペトロニウス『サテュリコン』の「トリマルキオの饗宴」に見られる会話、400年頃の修道女の文章、無数の碑文[55]などが残っている。