インドの総督
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政治家から任命された者の中には後に首相候補となるような大物政治家もいたが(ウェルズリー卿ランズダウン卿カーゾン卿ハリファックス卿など)、実際に首相になった者はいない[13]
権能

インド総督は、インドにおいて国家元首(儀礼行為)と首相(行政)を兼ねた役割を果たす[14]。内閣に相当する行政参事会(Executive Council)と軍事力を掌握するインド軍総司令官(英語版)の補佐を受けながら、インド統治にあたる[10]。一応立法議会も存在し、改革のたびに少しずつその権能や公選の範囲が拡張されたものの、結局総督の諮問機関以上の存在にはならず、1947年のインド独立まで総督はインドにおいて専制君主も同然の独裁権力を保持し続けた[10]

イギリス本国との関係において、インド総督はインド担当大臣に責任を負っているが、イギリス議会には責任を負わない。インド総督はインド担当大臣に従うべきと考えられており(ただし総督はあくまでイギリス国王インド皇帝)の名代であって、インド担当大臣の代理人ではなかった)、両者が意見対立した場合にはインド総督が辞職するのが慣例になっていた。そのため一般的傾向として1870年にインドとイギリス本国に電信が開通した後、本国からの影響力が強まったと言える[14]

任期は基本的に5年である[10]
待遇

インド総督は1773年規正法以来、2万5000ポンドの年俸を受ける高給取りだった(19世紀初頭のイギリス閣僚の年俸は5000ポンド)。そのためインド総督職は「大英帝国で最も魅力的なポスト」と評された。この年俸に惹かれて総督職を引き受けた者は多いと見られる[15]

一方でインドはイギリス人にとって健康を害しやすい土地であり、「インドは総督の墓場」とも評されていた。インドで死亡した総督には、初代コーンウォリス侯爵第8代エルギン伯爵、それから暗殺された第6代メイヨー伯爵の3人がある。またインドで病気になり、帰国後に病死した総督に初代ミントー男爵初代ダルハウジー侯爵初代カニング伯爵初代ウェーヴェル子爵の4人がいる[16]
紋章 「インドの星 (旗)(英語版)」も参照

1885年から1947年のインド総督章

1885年から1947年のインド総督旗

1947年から1950年のインド総督旗

歴代総督
ベンガル総督

1773年イギリス東インド会社ベンガル知事がベンガル総督に昇格し、他の知事より優越的地位に立つ。任命者はイギリス東インド会社。

代写真在任中の爵位
氏名
(生没年)在任期間事績・特筆事項
1ウォーレン・ヘースティングズ
(1732?1818)1773年10月20日
- 1785年2月1日第2次マイソール戦争
反英連合の切り崩し[17]
臨時初代准男爵
サー・ジョン・マクファーソン(英語版)
(1745?1821)1785年2月1日
- 1786年9月12日
2初代コーンウォリス侯爵[注釈 1]
チャールズ・コーンウォリス
(1738?1805)1786年9月12日
- 1793年10月28日第3次マイソール戦争[18]
政府要職からのインド人排除[18]
永代地税制度の導入[18]
3サー・ジョン・ショア(英語版)
(1751?1834)1793年10月28日


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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