インディ・ジョーンズ/最後の聖戦
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撮影監督のダグラス・スローカムによると、撮影する建物に設置されたテレビ放送を受信するアンテナが見えないようカメラを配置することに苦労したという[13]。図書館の外観には、サン=バルナバ教会(英語版)が使われた。

ブルンヴァルト城の外観は、西ドイツ(当時)のビュレスハイム城(ドイツ語版)で撮影された。なお、映画では城の一部をマットペイントで拡張している。城の内部は、イギリスのエルストリー・スタジオ(英語版)で行われた。

聖杯のある神殿は、ヨルダンペトラ遺跡にあるエル・カズネを使用し撮影された。3日をかけて行った撮影はヨルダン政府が全面協力しており、フセイン国王ヌール王妃が子どもを連れて毎日見学に訪れたという。スピルバーグは後に「ヨルダンでの協力は素晴らしかった」「彼らは私たちに国を開放し、私たちをとても歓迎してくれました」と振り返っている[25]

少年時代のインディの場面は、メサ・ヴェルデ国立公園で撮影する予定だったが、居住する先住民が宗教的な理由から反対を受け、最終的にユタ州アーチーズ国立公園で撮影された。また、撮影には登場しないフォードも立ち会いフェニックスの役作りを助けており、フェニックスは「映画の冒頭、ほんの10分の場面だが、撮影はとても楽しかった」と語っている[25]

プロローグでの蒸気船の戦いは、エルストリー・スタジオに構築された(18x12メートル)のセットで3日をかけて撮影され、それぞれ300インペリアルガロン(1363リットル)の水を使用した[25]

インディ親子によるバイクのチェイスシーンは、スピルバーグが撮影フィルムを編集中に「思ったほどアクションが少ない」と感じたことから、急遽追加撮影されたものである。撮影は、タマルパイス山とルーカスフィルム本社の敷地内にあるスカイウォーカーランチで行われた[26]
特撮

ドノバンの最期は特殊メイク、アニマトロニクスとモーフィングを組み合わせて描写された。CGI使用はシリーズ初となる。

日本公開に合わせNHKスペシャルでスカイウォーカーランチ(ルーカスの製作拠点)を取材した「スピルバーグとルーカス 映像帝国の革命児たち」が放送された。スカイウォーカー・サウンドのスタジオで膨大な数のオープンリールテープからシンクラヴィアまで用いた音響効果編集作業をベン・バートが実演するほか、ILMにおける作業にも触れており、モーション・コントロール・カメラの入力作業と当時現役だったフィルムの光学プリンターが映り、飛行機で逃げるジョーンズ父子の空中戦はブルースクリーンを背景にビスタビジョンカメラで撮影。当時マットペインティング・アーティストとしてILMに入って間もなく本作、および同年公開の『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』、『ゴーストバスターズ2』にも関わった上杉裕世もインタビューを受け、製作中の断崖のマット画(シリーズ恒例となった)に手を入れる様子を見せている。

カタコンベが炎に包まれるシーンはネズミの大群が炎から逃げるため必死で泳ぐ姿が念頭に置かれており、模型飛行機のようなゴム動力のスクリューを付けたネズミの模型が沢山作られた。ちなみにネズミの鳴き声はニワトリの鳴き声にピッチを上げるなどの加工を施して作られたものである。なお、炎を使う場面以外のネズミは本物が多く、1000匹を用意する予定が発注先のサービスで最終的に約5000匹が用意・撮影された[22]
エピソード

インディ役のハリソン・フォードは実際にあごに傷がある。この特徴を活かし、リヴァー・フェニックスが演じる少年時代のインディが、ムチを使いあごを自傷することで、のちのインディ(ハリソン)と同じようにしている。DVDに収録しているインタビューによると、この傷は、実際に20代の頃に自動車事故で負ったものとのこと。また同じように特徴を活かし終盤で、インディが本物の聖杯(木製)を探し当て「イエスは大工だった!」とも言っている。実はハリソンも、下積みの頃に大工をしている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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