インディ・ジョーンズ/最後の聖戦
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スピルバーグは後に「ヨルダンでの協力は素晴らしかった」「彼らは私たちに国を開放し、私たちをとても歓迎してくれました」と振り返っている[25]

少年時代のインディの場面は、メサ・ヴェルデ国立公園で撮影する予定だったが、居住する先住民が宗教的な理由から反対を受け、最終的にユタ州アーチーズ国立公園で撮影された。また、撮影には登場しないフォードも立ち会いフェニックスの役作りを助けており、フェニックスは「映画の冒頭、ほんの10分の場面だが、撮影はとても楽しかった」と語っている[25]

プロローグでの蒸気船の戦いは、エルストリー・スタジオに構築された(18x12メートル)のセットで3日をかけて撮影され、それぞれ300インペリアルガロン(1363リットル)の水を使用した[25]

インディ親子によるバイクのチェイスシーンは、スピルバーグが撮影フィルムを編集中に「思ったほどアクションが少ない」と感じたことから、急遽追加撮影されたものである。撮影は、タマルパイス山とルーカスフィルム本社の敷地内にあるスカイウォーカーランチで行われた[26]
特撮

ドノバンの最期は特殊メイク、アニマトロニクスとモーフィングを組み合わせて描写された。CGI使用はシリーズ初となる。

日本公開に合わせNHKスペシャルでスカイウォーカーランチ(ルーカスの製作拠点)を取材した「スピルバーグとルーカス 映像帝国の革命児たち」が放送された。スカイウォーカー・サウンドのスタジオで膨大な数のオープンリールテープからシンクラヴィアまで用いた音響効果編集作業をベン・バートが実演するほか、ILMにおける作業にも触れており、モーション・コントロール・カメラの入力作業と当時現役だったフィルムの光学プリンターが映り、飛行機で逃げるジョーンズ父子の空中戦はブルースクリーンを背景にビスタビジョンカメラで撮影。当時マットペインティング・アーティストとしてILMに入って間もなく本作、および同年公開の『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』、『ゴーストバスターズ2』にも関わった上杉裕世もインタビューを受け、製作中の断崖のマット画(シリーズ恒例となった)に手を入れる様子を見せている。

カタコンベが炎に包まれるシーンはネズミの大群が炎から逃げるため必死で泳ぐ姿が念頭に置かれており、模型飛行機のようなゴム動力のスクリューを付けたネズミの模型が沢山作られた。ちなみにネズミの鳴き声はニワトリの鳴き声にピッチを上げるなどの加工を施して作られたものである。なお、炎を使う場面以外のネズミは本物が多く、1000匹を用意する予定が発注先のサービスで最終的に約5000匹が用意・撮影された[22]
エピソード

インディ役のハリソン・フォードは実際にあごに傷がある。この特徴を活かし、リヴァー・フェニックスが演じる少年時代のインディが、ムチを使いあごを自傷することで、のちのインディ(ハリソン)と同じようにしている。DVDに収録しているインタビューによると、この傷は、実際に20代の頃に自動車事故で負ったものとのこと。また同じように特徴を活かし終盤で、インディが本物の聖杯(木製)を探し当て「イエスは大工だった!」とも言っている。実はハリソンも、下積みの頃に大工をしている。

ショーン・コネリーは、出演が決まるとヘンリーというキャラクター像の再構築を開始。コネリーの意見から脚本やヘンリーの人物設定に修正が加えられ、後にフォードは「彼が脚本に深く入り込み、キャラクターも変わったことは私にとって驚くべきことでした。脚本執筆段階にあったジョージへの彼の提案は、キャラクターと映像へオリジナル脚本をはるかに超える重厚さと価値を与えました」と語った[27]。コネリーは、自身が学生時代に歴史を学んでいたこともあり深く役を研究し、後に「ヘンリー・ジョーンズを一種のリチャード・フランシス・バートンとして演じたかった」とコメントしている[28]。また、コネリーの「ヘンリーは息子に匹敵するべき存在」との考えから、当初より冒険的な一面が強調された。スピルバーグには「インディがしたことは私のキャラクターがしたことであり、私のキャラクターはそれをよりうまくやる人物だ」と語ったという[13]

インディがヘンリーにエルザ・シュナイダーが何故ナチスであることを知っていたかを尋ねるシーンがあるが、ここでヘンリーが「(彼女が)寝言を言ったから」と答えるのはコネリーのアドリブである[注釈 7][29]。ただし、最初のテイクは出演者やスタッフが床に崩れるほど爆笑したためNGとなり、撮り直しが行われた[30]

パーティーを抜け出しドノバンが初登場する場面での、パーティーで流れていたピアノの伴奏は「ダースベイダーのテーマ」である[20]

ナチス・ドイツの焚書の場面で使われたナチスの衣装はほとんどが本物である。これは当時、ドイツで大量に発見された予備の制服を衣装デザイナーのアンソニー・パウエルが入手したことで可能になったという[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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