会話場面における台詞の考案には、トム・ストッパードがノンクレジットで参加。スピルバーグは「トムは会話のすべての行に関わり、ほとんどの責任も負っています」と語っている。
映画のオープニングをどうするか悩んだ際、ルーカスはインディの少年時代をプロローグとして描くというアイデアを思いつく。ボアムも、インディのキャラクターを深く掘り、観客に現在のインディ・ジョーンズ像がどのように誕生したかを見せたいと考えていたことからこれに賛成した。スピルバーグは当初「子供が登場する映画を作りたくない」とこれに反対したが、最後はルーカスの説得により同意した[16]。
キャスティングショーン・コネリー(1988年)
インディの父親であるヘンリー・ジョーンズ役に関して、このシリーズは元々スピルバーグが「007」シリーズのような作品を作りたいとルーカスに話したことがきっかけで作られた作品であり、スピルバーグは「インディ・ジョーンズの父親を演じれるのは、初代ジェームズ・ボンドであるショーン・コネリー以外はありえない」と考えていた[16]。そのため、第二候補にグレゴリー・ペックが挙がったりはしたものの[23]、真っ先に役はコネリーに依頼された。コネリーは当初、インディ役のフォードとの実際の年齢差は12歳であることからオファーを受けるか悩んだが、脚本を気に入ったことで最終的に受諾した[16]。
インディの少年時代を演じたリヴァー・フェニックスは、『モスキート・コースト』で共演したフォードによる「活躍していた若手俳優の中で、最も自分と似ていると感じた」との推薦で起用された[13]。
老騎士役は、ルーカスがコネリー起用前にヘンリー・ジョーンズ役としてイメージしていたローレンス・オリヴィエが候補に挙がったが、病気のため実現せず、オリヴィエは公開された1989年に死去した[24]。
シリーズ常連とも言うべき大柄の俳優パット・ローチは今作ではゲシュタポ役で姿を見せている。また、シリーズ第一作でトートを演じたロナルド・レイシーは、台詞やクレジットは無しだがハインリヒ・ヒムラー役で出演している。また、シリーズ第一作冒頭のペルーの荷役夫役のテッド・グロスマンが保安官役で登場した。 本作は、比較的ロケ撮影が多い。 主要撮影は、1988年5月16日にスペインのタベルナス砂漠
撮影
ベニスでの撮影は1日で済ましており、午前中に観光客を制限し行われた。撮影監督のダグラス・スローカムによると、撮影する建物に設置されたテレビ放送を受信するアンテナが見えないようカメラを配置することに苦労したという[13]。図書館の外観には、サン=バルナバ教会(英語版)が使われた。
ブルンヴァルト城の外観は、西ドイツ(当時)のビュレスハイム城(ドイツ語版)で撮影された。なお、映画では城の一部をマットペイントで拡張している。城の内部は、イギリスのエルストリー・スタジオ(英語版)で行われた。
聖杯のある神殿は、ヨルダンのペトラ遺跡にあるエル・カズネを使用し撮影された。3日をかけて行った撮影はヨルダン政府が全面協力しており、フセイン国王とヌール王妃が子どもを連れて毎日見学に訪れたという。スピルバーグは後に「ヨルダンでの協力は素晴らしかった」「彼らは私たちに国を開放し、私たちをとても歓迎してくれました」と振り返っている[25]。
少年時代のインディの場面は、メサ・ヴェルデ国立公園で撮影する予定だったが、居住する先住民が宗教的な理由から反対を受け、最終的にユタ州のアーチーズ国立公園で撮影された。また、撮影には登場しないフォードも立ち会いフェニックスの役作りを助けており、フェニックスは「映画の冒頭、ほんの10分の場面だが、撮影はとても楽しかった」と語っている[25]。
プロローグでの蒸気船の戦いは、エルストリー・スタジオに構築された(18x12メートル)のセットで3日をかけて撮影され、それぞれ300インペリアルガロン(1363リットル)の水を使用した[25]。
インディ親子によるバイクのチェイスシーンは、スピルバーグが撮影フィルムを編集中に「思ったほどアクションが少ない」と感じたことから、急遽追加撮影されたものである。撮影は、タマルパイス山とルーカスフィルム本社の敷地内にあるスカイウォーカーランチで行われた[26]。