インテル
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アクセラレーター系プロセッサに関しては、主にCPU統合型GPU(iGPU)およびXeon Phiと呼ばれるMIC(Many Integrated Core)を手掛けている。1992年以降から現在に至るまで、世界第1位の半導体メーカーとして君臨し続け、特に世界のPC向けCPU市場2020年現在60%近いシェアを維持している[6]

海外事務所は50ヵ国以上、製造・研究拠点は8ヵ国17拠点にある。特にイスラエルの拠点は大きく、2007年現在で7000人の従業員を擁している[7]

カリフォルニアサンノゼ市にある半導体製造工場には、インテルの歴史を紹介するインテル博物館が併設されている。

日本法人(インテル株式会社)は、東京都千代田区(東京本社)に本社を置く。1971年にそれまで日本総代理店だった日本アイ・シーとの契約を解除し、米国法人の日本支社として設置したインテル・ジャパン・コーポレーションがその前身である[8]。その後、1976年4月28日にインテルジャパン株式会社を設立し、1997年2月1日に現在の商号へ変更した[9]。1981年に開設されて本社機能を持っていたつくばオフィスは2016年12月に閉鎖し、業務は1990年から二本社制の片翼を担っていた東京に移管された[10]
歴史

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設立 - 1970年代

1968年7月18日 - フェアチャイルドセミコンダクターを退職したロバート・ノイスゴードン・ムーアムーアの法則で知られる)らが設立した[5]:4。3番目の社員としてアンドルー・グローヴが入社した。当初は半導体メモリを主力製品とし、磁気コアメモリの置き換え・駆逐を野望とした。

1969年4月 - インテル初の製品であるSRAM 3101を発表(記憶容量64ビット)[5]:4。

1970年10月 - 世界初のDRAM 1103を発表(記憶容量1,024ビット)[5]:4。DRAM1103の広告で、ICパッケージが虫のように紙面を埋め尽くし「Cores Lose Price War」(コアは価格戦争に負けた)と宣言した[11]

1971年9月 - 世界初のUV-EPROM 1702を発表(記憶容量2,048ビット)。

1971年10月 - NASDAQに株式を公開[5]:4。

1971年11月15日 - 世界初のマイクロプロセッサである4004(4ビット、クロック周波数108 kHz、トランジスター数2,300個)を発表[5]:4。

1972年4月 - 8008(8ビット、クロック周波数200 kHz、トランジスター数3,500個、プロセス技術10 μm)を発表[5]:5。

1974年4月1日 - 8080(8ビット、クロック周波数2 MHz、トランジスター数6,000個、プロセス技術6 μm)を発表[5]:5。

1976年3月 - 8085(8ビット、クロック周波数2 MHz、トランジスター数6,500個、プロセス技術3 μm)を発表[5]:5。

1978年6月8日 - 8086(16ビット、クロック周波数5 - 10 MHz、トランジスター数2万9000個、プロセス技術3 μm)を発表[5]:6。

1979年6月 - 8086の廉価版である8088を発表。1Mビットのバブルメモリーを発表[5]:6。

1980年代

1980年 - ゼロックスDEC(現在のHP)と共同でLANの規格をIEEE 802委員会に「Ethernet 1.0規格」として提出・公開(詳細はイーサネット#歴史を参照)。

1981年8月 - IBMが同社初のパソコンIBM PCを発表[5]:6。CPUに8088が採用されたことは、インテルが急成長するきっかけとなった。

1982年2月 - 80286を発表(16ビット、クロック周波数6 - 12.5 MHz、トランジスター数13万4000個、プロセス技術1.5 μm)[5]:7。

1985年10月 - DRAM事業から撤退し、CPUの開発・生産に経営資源を集中[5]:7。x86シリーズでは初の32ビットマイクロプロセッサであるi386(後にi386DXと改称。クロック周波数16 - 33 MHz、トランジスター数27万5000個、プロセス技術1.5 - 1 μm)を発表[5]:7。

1989年4月 - i486(クロック周波数16 - 100 MHz、トランジスター数120万個、プロセス技術1 -0.6 μm)を発表[5]:8。

1990年代

1991年5月 - Intel Insideロゴ(日本では『インテル、入ってる』として広く知られている[12])を発表。CM、カタログなど様々なメディアで広く世界中で使用されたが、これは日本発のブランディング・キャンペーンである。発案者はインテル社外のIT業界関係者であるとの誤報が複数ある[要出典]が、同社つくば本社マーケティング・スタッフの議論・試行錯誤の成果である。当時、米国Intel Corporationは「The Computer Inside」[13]というキャンペーンを欧米で展開していたが、日本から対案として米国本社に「Intel in it」[14]キャンペーンが提案され、特例として実施されたものである。後にシリコンバレーのサンタクララを拠点とするIntel Corporationは日本法人案を取入れ、戦略変更を行い「Intel Inside」ブランディング戦略として世界規模でこのコンセプトを展開した。ブランディング戦略の詳細はHarvard Business Schoolのケース・スタディにまとめられている[15]


「ドロップ-e」ロゴ

「Intel Inside」ロゴ


1991年12月 - 現在の本社社屋であるロバート・ノイス・ビルディングが竣工[5]:8。

1993年3月 - x86の第5世代に当たるPentium(クロック周波数60 - 300 MHz、トランジスター数310万個、プロセス技術0.8 - 0.35 μm)を発表[5]:8。同社のCPUで初めて製品名に固有名詞を使った。その後、Pentiumの名称は、引き続き同社のCPUのブランドとして使われた。

1994年11月 - Pentiumに浮動小数点計算のバグがあることが発覚。当初インテルは問題ないとしていたが、同年12月20日に製品回収に至った。

1995年8月 - コンパック(現在のHP)、DEC、IBM、マイクロソフトNEC、ノーザンテレコム(現在のノーテルネットワークス)とともに、これまでのシリアルポート、パラレルポート、PS/2ポートなどを置き換えるインターフェイス規格、ユニバーサル・シリアル・バス (USB) を推進する業界団体USB-IFを発足。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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