アメリカ型のインダストリアルを「インダストリアル・ロック」または「インダストリアル・メタル」と呼び、従来のインダストリアルと区別する事がある。ただし当記事では「アメリカ型」としているものの、インダストリアル・ロック(メタル)のみが存在していたというわけでもなく、アンダーグラウンドではダニエル・メンチェ(Daniel Menche)など、ノイズや電子音楽など初期インダストリアルの特徴を色濃く受け継ぐアーティストが数多く存在している。
なお、代表格であったミニストリーやナイン・インチ・ネイルズがデジタルサウンド重視の音楽性から距離を置き始めたことに象徴されるように、バンドの音楽性の変化や、バンドそのものの解散が相次いだため、「アメリカ型の典型的なインダストリアル(ロック/メタル)」の流れは1990年代後半までに一度衰退している。しかし1990年代後半になると元ホワイト・ゾンビのボーカリスト、ロブ・ゾンビは自身のバンド、ロブ・ゾンビで人気を獲得し、同じくマリリン・マンソンもインダストリアル的なアプローチを交えつつ、より普遍的なロックとして一般大衆に受け入れられている。
また1990年代中期?2000年代初頭には欧米ではニュー・メタル・ムーブメントが興り、スリップノットやリンキンパークを始めとする多くの新世代のバンドが現れた。これらのバンドはインダストリアルと呼ばれる事はないが、生演奏中心の楽曲にサンプリング等を使い、アメリカ型インダストリアルの要素をより大衆の身近な物としていった。この2バンド以外にもミニストリー、あるいはフィア・ファクトリーといったインダストリアル・ロックの影響を多分に感じさせるバンドが多く現れた[注釈 13]。 ヨーロッパにおけるインダストリアルは、後続のミュージシャンによってノイズミュージックの一ジャンルとして醸成された結果、アンダーグラウンドでの動きに留まっているが、スロッビング・グリッスルからの系統を受け継ぐ音楽性を保っている。ただし、これらに対しても「インダストリアル・ノイズ」と定義し区別するリスナーもいる。特に有名だったのはドイツのアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン[注釈 14]である。インダストリアル・ノイズとして分類されるグループとしては、ジェノサイド・オーガン
ヨーロッパ
スロッビング・グリッスルが有していた電子音楽としての一面にクローズアップし、エレクトロニック・ボディ・ミュージックなどエレクトロニックミュージックやダンスミュージックとの融合を図ったミュージシャンも数多くいる。そのため1990年代以降のヨーロッパにおける「インダストリアル」の定義は「ノイズやサンプリングを多く取り入れたエレクトロ/ダンスミュージック」[注釈 15]とされていると言っても過言ではなかったが、日本のみならず欧米でも「アメリカ型インダストリアル」であるナイン・インチ・ネイルズなどの成功により混乱をきたしている部分もある。スキニー・パピーやフロント・ライン・アッセンブリー、1990年代以降のエスプレンドー・ジオメトリコの作品、コンヴァーター(Converter)などに代表されるアント・ゼン(Ant-Zen)レーベルのグループも代表的なものとして挙げられる。
レイモンド・ワッツやKMFDM、クロウフィンガーのようにヨーロッパ出身者でありながらアメリカ型のインダストリアルの方向性をもったアーティストも多く存在し、ディ・クルップスはアメリカ進出を境にヨーロッパ型インダストリアルからインダストリアル・ロックへと作風を変化させた。キリング・ジョークもアルバム『パンデモニウム』(Pandemonium)でアメリカ型のインダストリアルを独自解釈した楽曲を発表している。
東欧、元共産圏においては、もともと電子音楽が盛んだったこともあり、スロッビング・グリッスルの影響を受けない形でのインダストリアル・ミュージックを展開したミュージシャンも数多く存在した。ユーゴスラビアにおいてはスロベニアのライバッハやボルゲシア(Borghesia)、セルビアのP.P.Nikt、クロアチアのサト・ストイツィズモなど、西側諸国のインダストリアルとはまた違った特徴をもったグループや個人が作品を残している。 1980年代からインダストリアル的なアプローチを試みるミュージシャンが現れ、1990年代になると「ジャパノイズ」として海外のノイズ・インダストリアルシーンで認知されるようになった。[注釈 16] メルツバウなどの名義で活動する秋田昌美の作品は、圧倒的な大音量からノイズミュージックの象徴とされることも多いが、音楽性そのものはインダストリアルを指向したものという見方も一部にある。秋田はスロッビング・グリッスルのジェネシス・P・オリッジとの合作も手がけており、その際には「スロッビング・グリッスルの音響効果を再現した」と述べている。ノイズ・ミュージックには高柳昌行[注釈 17]、灰野敬二、大友良英[注釈 18]らも取り組んた。 日本初のインダストリアルバンドと挙げられることもあるバンド、Zeitlich Vergelterに所属していた石川忠は、映画「鉄男」シリーズのサントラや自らのバンドDer Eisenrostでメタル・パーカッションを駆使した作品を発表し、海外にも進出した。このDer Eisenrostの他メンバーが合流前に活動してい関伸一、矢吹JOEが始めたCHC System
日本
元SOFT BALLET/現睡蓮、minus(-)の藤井麻輝は、日本語版のSPK限定ボックスの解説を執筆するほどインダストリアルに傾倒しており、SOFT BALLET名義の楽曲だけに留まらず、BUCK-TICKの今井寿と組んだユニットSCHAFTでインダストリアルを独自に解釈した音の世界を展開した。ただし、藤井については、日本のロックシーンにインダストリアルという流れを取り込んだ人間の一人として評価する一方、(特にSOFT BALLET時代の)楽曲自体はインダストリアルおよびノイズミュージックの諸作品からの露骨な引用が目立つと批判するリスナーも多かった[注釈 19]。しかし、現在メジャーシーンでインダストリアル的な楽曲を発表しているのは今井寿、上田剛士(AA=)、yukihiro(Acid androidの活動で)など、[注釈 20]藤井と関係のある面々が多いのも事実であり、日本のインダストリアル・ミュージックシーンを語る(少なくともメジャーのレベルで)とすれば軽視できない存在となっている。
なお日本の(おもにインディレーベルなどで作品を発表するアーティスト)については、ノイズ(ジャパノイズ)との区別がつかないグループや個人が多いが、Contagious OrgasmやDissecting Tableなどは日本発のインダストリアルとして認知されている。メディア面でも2000年に解散したインディペンデント出版社、ペヨトル工房のサブカルチャー雑誌『銀星倶楽部』で特集が組まれたりするなど、インダストリアルは日本でもあらゆる面で根強く親しまれていたジャンルである。
近年では(ノイズ/ジャパノイズではなく)インダストリアルというジャンルそのものとしては前述の通り多様化したこと、欧米などと同様にナイン・インチ・ネイルズの二番煎じのような楽曲で茶を濁すバンドが90年代に見受けられたこと、またSCHAFT、そしてそこから発展したBUCK-TICKの櫻井敦司と今井寿主体のSCHWEIN以降これといったビッグプロジェクトが出てこなかったこと、そしてエレクトロニカの影響を受けたバンドやミュージシャンがメインシーンに多数出てきたことから、日本におけるインダストリアルはAA=など単発的に出てきてはいるものの、メジャーシーンでは(主導的役割を担っていた藤井麻輝の音楽活動休止も相まって)2000年代後半を境にほぼ沈静化したが、SCHAFTが2016年に新作を発表し、BUCK-TICKの音楽性にもインダストリアル的な要素が見受けられ、インディシーンでも和製インダストリアルの影響を受けたバンド(SOUND WITCH)やUKハードコアDJShoko Rasputinなどが登場した。 アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの「目玉親父」(水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に登場)に似たトレードマークは、アメリカのオルタナティブ・ミュージック界の重鎮である元ブラック・フラッグ、ロリンズ・バンドのヘンリー・ロリンズの腕の入れ墨に採用された。
インダストリアルの影響