インターナショナル_(歌)
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この告白に拠れば、当時の市長だったドゥロリに逆らっては町で生きてゆくことができなくなると恐れ、ドゥロリに言われるがままになっていたということだった[2]

この告白文によって、戦後の1922年に、ピエールが正当な作曲者と認められた[2]。ピエールは共産主義活動のシンボルになり、共産党大会ではピエールの指揮で「L'Internationale」が演奏された[2]。一方、この頃共産主義者と社会主義者は仲違いをするようになっており、社会主義者の出版物では引き続き「L'Internationale」の作曲者はアドルフ・ドジェーテルと宣伝された[2]
「インターナショナル」の広がり

「L'Internationale」が、広く注目をあつめるようになったのは、1896年にリールで行われた労働者の大会で演奏されたときである[2]。この大会には国外からも参加者があり、彼らを通じて広がっていった[2]1902年にはロシア語に翻訳された[6][3]

1910年には、コペンハーゲンデンマーク)で社会主義者の象徴として歌われたという記録がある[2]。オリジナルのフランス語版は6番までの歌詞があったが、他言語に翻訳される際にはいくつか割愛され、2番か3番あたりまでになっている場合がある[5]。1900年の英訳版は5番までであり、アメリカやカナダではこれが有名である[5]。イギリス、アイルランド、オーストラリアなどでは6番までの英訳歌詞が知られている[5]

1917年には、ロシア社会主義革命ロシア革命)が成功してロシア・ソビエト社会主義共和国が誕生すると、1918年に国歌に採用された[1][7][3]。ソビエト連邦では第二次世界大戦中の1944年にスターリン新しい国歌を定めるまで、「インターナショナル(Интернационал)」が国歌として歌われた[1][7][注 2]

1922年には、ロシア革命5周年を記念して「インターナショナル」が初めて日本に紹介された[1]。掲載したのは当時の雑誌『種蒔く人』で、このとき和訳歌詞ともに紹介された[1]

レーニンは次のように評している[4]。ポチエは貧困のうちに死去した。だが彼は自分について真の不朽の記念碑をのこした。彼は歌によるもっとも偉大な宣伝家のひとりであった。彼が最初の歌をつくった時には、社会主義的労働者の数は、たかだか数十をもってかぞえられた。しかし、いまでは何千万と言うプロレタリアがウジェーヌ・ポチエの歴史的な歌を知っているのである。

1913年1月3日
? ウラジーミル・レーニン、「ウジェーヌ・ポチエ」『レーニン全集』36巻243頁
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