インターコンチネンタルカップ_(サッカー)
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南米クラブは2010年大会のTPマゼンベや2013年大会のラジャ・カサブランカをはじめとした欧州以外のクラブに時々敗れ、3位決定戦に回ることが多くなった。2016年の日本開催の大会では開催国王者の鹿島アントラーズが南米王者のアトレティコ・ナシオナルを3-0で破ることとなった。また、現行方式最後の大会となった2023年大会では南米王者のフルミネンセはアフリカ王者のアル・アハリを準決勝で2-0で破ることに成功したが、その後の決勝では欧州王者マンチェスター・シティに4-0でのショッキングな敗北を喫することとなった。
インターコンチネンタルカップの名称の復活

FIFAクラブワールドカップは2025年大会から参加チーム数が32チームに増え、それに伴い、年ごとに開催される世界一を決める大会FIFAインターコンチネンタルカップが2024年から開催されることも決定した。これによってインターコンチネンタルカップ(日本での呼称はトヨタカップ)という名称が復活することが決定した。
開催方式

1960年から1979年まではホーム・アンド・アウェー方式の2試合で行われ、勝ち点制が導入された。2試合を行って勝ち点が同じの場合は2試合目を行ったチームのホームでプレーオフが開催された。しかし、その制度は第2戦を行ったチームに有利なものであったため1967年からプレーオフの開催地を第2戦を行った大陸の第三国とし、1968年からはアウェーゴール・ルールも導入された。

1980年からは国立霞ヶ丘競技場(2002年より横浜国際総合競技場)の1戦のみで勝敗を決するようになり、90分で決着がつかない場合にはシルバーゴール方式で試合が行われた。
結果

年度優勝結果準優勝会場
インターコンチネンタルカップ
1960
レアル・マドリード0 - 0
5 - 1 ペニャロール センテナリオモンテビデオ
サンティアゴ・ベルナベウマドリード
1961 ペニャロール0 - 1
5 - 0
2 - 1 ベンフィカ ダ・ルスリスボン
センテナリオモンテビデオ
センテナリオモンテビデオ
1962 サントス3 - 2
5 - 2 ベンフィカ マラカナンリオデジャネイロ
ダ・ルスリスボン
1963 サントス2 - 4
4 - 2
1 - 0 ミラン サン・シーロミラノ
マラカナンリオデジャネイロ
マラカナンリオデジャネイロ
1964 インテル0 - 1
2 - 0
1 - 0 aet インデペンディエンテ リベルタドーレスアベジャネーダ
サン・シーロミラノ
サンティアゴ・ベルナベウマドリード
1965 インテル3 - 0
0 - 0 インデペンディエンテ サン・シーロミラノ
リベルタドーレスアベジャネーダ
1966 ペニャロール2 - 0
2 - 0 レアル・マドリード センテナリオモンテビデオ
サンティアゴ・ベルナベウマドリード
1967 ラシン・クラブ0 - 1
2 - 1
1 - 0 セルティック ハムデン・パークグラスゴー
エル・シリンドロアベジャネーダ
センテナリオモンテビデオ
1968 エストゥディアンテス1 - 0


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