イングリッド・バーグマン
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ただしバーグマンは、ロッセリーニの「基本的な着想があるだけで、(撮影の進行と共に)ごく僅かずつ考えを深めていく」という手法を撮影前から知っていた[16]:19。

ロッセリーニとの結婚生活がすでに破綻を来たしていた1956年に、バーグマンはジャン・ルノワール監督の『恋多き女』に主演した。『恋多き女』は恋愛コメディ作品で、バーグマンは政治的陰謀に振り回されるポーランドの公爵夫人を演じている。公開当時のこの映画は商業的に成功したとはいえなかったが、徐々にバーグマンの演技がもっとも優れている作品のひとつと見なされるようになっていった。
後半生(1957年 - 1982年)
『追想』(1956年)1956年公開の『追想』でアナスタシア・ニコラエヴナを演じる

バーグマンは1956年の映画『追想』でアメリカ映画に復帰し、この作品で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞した。この授賞式でバーグマンの代理としてオスカーを受け取ったのは、バーグマンの昔からの友人であるケーリー・グラントだった[19]

ロッセリーニとの不倫スキャンダルが発覚して以降、バーグマンがハリウッドで大衆の前に初めて姿を見せたのは、1958年度のアカデミー賞授賞式である[20]。旧友ケーリー・グラントからの紹介を受けて作品賞のプレゼンターとしてステージにあがったバーグマンは、観客からのスタンディング・オヴェーションで迎えられた。その後のバーグマンはアメリカ映画とヨーロッパ映画の両方に出演し、ときにはテレビドラマにも出演している。1959年に出演したテレビドラマ『ねじの回転』ではエミー賞を受賞した。また、この時期のバーグマンはいくつかの舞台作品にも出演している。

1957年にロッセリーニと離婚したバーグマンは、1958年12月21日に演劇プロデューサーのラルス・シュミットと結婚したが、1975年に離婚している。シュミットと結婚してからバーグマンの映画出演の本数は減少していたが、1964年の『黄色いロールスロイス』以来5年ぶりになる映画『サボテンの花』で、ウォルター・マッソーゴールディ・ホーンと共演している。

バーグマンとロッセリーニとの不倫関係が一大スキャンダルとなったのは、当時のアメリカ合衆国上院議員エドウィン・ジョンソン (en:Edwin C. Johnson) が上院で二人を弾劾する演説を行ったことにも一因があった。その22年後の1972年に同じく上院議員のチャールズ・パーシーが、この演説に関して公式に謝罪の意を示している。また、1973年にバーグマンは、カンヌ国際映画祭の議長に選ばれた[21]
『オリエント急行殺人事件』(1974年)1975年の舞台『貞淑な妻』のバーグマン。

バーグマンは1974年に出演した『オリエント急行殺人事件』でアカデミー助演女優賞を受賞した。合計3つのアカデミー賞を手にしたバーグマンは名実共に最高の女優のひとりとなった。『オリエント急行殺人事件』の監督シドニー・ルメットは、当初バーグマンに重要な役であるドラゴミロフ公爵夫人を打診していた。ルメットはこの役を演じることによって、バーグマンがアカデミー賞を受賞するのは間違いないと確信していた。しかしながらバーグマンは、さほど重要ではないスウェーデン人宣教師グレタ・オルソン役に興味を示した。ルメットはバーグマンが演じた役について、次のように語っている。

彼女(バーグマン)は端役を選び、私にはその決心を変えることはできませんでした。彼女は愛らしくも頑固な女性だったといえるでしょう。とはいえ、あまりにグレタ・オルソンが小さな役だったために、私はひとつの決断をしました。彼女一人をスクリーンに写して、ひとつのテイクで5分間にわたって喋らせ続けたのです。ほとんどの女優はこのような演出を嫌がります。でも彼女はこのアイデアを気に入って、やりとげてくれました。彼女はあらゆる感情をこのシーンで表現しつくしました。このような経験は私にとっても初めてことだったのです[6]:246?247。

バーグマンは母語であるスウェーデン語のほかに、ドイツ人の母親に教わったドイツ語、アメリカ滞在中に覚えた英語、イタリア滞在中に覚えたイタリア語、学校で習ったフランス語を話すことができた[22]。バーグマンはこれらの5カ国語で喋る役を演じたこともあった。『オリエント急行殺人事件』でバーグマンと共演し、『コンスタントワイフ』でバーグマンの演出にも携わったジョン・ギールグッドは、冗談口調で「彼女(バーグマン)は五カ国語を話すことができる。しかしそれらのどの言語でも演技は出来ない。("can't act in any of them)」と語ったことがある[23]



『秋のソナタ』(1978年)

1978年にバーグマンはイングマール・ベルイマン監督のスウェーデン映画『秋のソナタ』に出演した。最後の映画となったこの作品で、バーグマンはリヴ・ウルマン演じる過去に見捨てた娘を訪ねるために、ノルウェーへと旅する裕福なピアニストを演じた。ノルウェーで撮影されたこの『秋のソナタ』で、バーグマンはアカデミー賞に通算7回目のノミネートを受けた。また、バーグマンはアメリカン・フィルム・インスティチュートが、1979年にヒッチコックへ生涯功労賞を授与したときの司会進行役を務めている[24]
『ゴルダと呼ばれた女』(1982年)

1982年にバーグマンは、イスラエルの女性首相ゴルダ・メイアを主人公としたテレビドラマシリーズ『ゴルダと呼ばれた女』の主役のオファーを受けた。この『ゴルダと呼ばれた女』はバーグマンの最後の出演作であり、二度目のエミー賞主演女優賞を受ける作品となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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