イギリス議会の上院である貴族院には26人の聖職貴族が議席を有し、国政に参加している。
ギャラリー
カンタベリーのアウグスティヌス司教
リチャード・フッカー(エクセター大聖堂にある像)
ジャスティン・ウェルビー
カンタベリー管区大主教(在任:2013年 - )
ジョン・センタム
イングランド国教会の教会法は、聖書をその根本としている。加えて、その教義は教父の教え、公会議のエキュメニカルな信経(ニケヤ信経など)が聖書の教えと合致する限り、それらを元としている。教義内容は「39箇条」教義要綱と祈祷書に表れており、また執事、司祭、主教からなる聖職者の聖別を認める[10]。神学者では、16世紀後半に活躍したリチャード・フッカーが大きな影響を与えた。 イングランド国教会の典礼(礼拝順序など)は『祈祷書』(Book of Common Prayer)にあると、イングランド法に規定されている。これに加えて、2000年から『新祈祷書」 (Common Worship
礼拝と典礼
礼拝の音楽は聖書内容(特に『詩編』)を簡単な節で歌うことから『古今聖歌集』、『英語聖歌集』(English Hymnal)などへと数世紀にわたってさまざまに変化してきたが、主教座聖堂および一部教会では「合唱付きの夕の祈り」 (Choral evensong) を守っている。
ハイ・チャーチとロウ・チャーチ詳細は「聖公会#ハイ・チャーチとロウ・チャーチ」を参照
もともとイングランド国教会はクエーカー、メソジストなど多くのプロテスタント宗派を生み出した母体で、さまざまな考えの人々を包含していて、それを許容している。その状態を、カトリック的な要素を残す「ハイ・チャーチ」 (high church) 、福音的な「ロウ・チャーチ」 (low church) に分類して説明したり、自由神学的な「ブロード・チャーチ」 (Broad church) もあるとしているが、そうした確立した組織があるわけではなく、教区内に様々な考え方の教会が混在している[11][信頼性要検証]。
修道会(英語版)(Society of St. John the Evangelist、略称:SSJE、1866年創立) - 日本の聖ヨハネ修士会も参照
聖使修士会(英語版)(Society of the Sacred Mission、通称:Kelham Fathers、1892年創立) - 日本の聖使修士会も参照
復活修士会(英語版)(Community of the Resurrection、通称:Mirfield Fathers、1892年創立)
などがある。 次のような主な海外宣教団体があり、日本での聖公会宣教にも深く関わってきた。 1986年に女性の執事が正式に認められ、翌1987年に初めて聖別(任命)されている。1992年には女性の司祭任命が総会で決定され、1994年に初めての女性司祭が誕生し、2010年には男性司祭の任命数(273名)より女性司祭の任命数(290名)が多い状況になっている。 2013年6月、女性主教の任命が教会会議で決まっている。その後いくつかの会の審議で圧倒的賛成多数(例えば主教会では賛成37、反対2、棄権1)で決定されて、イギリス議会の宗教委員会の承認も経て、2014年11月に執行可能になった。初めての女性副主教 (suffragan bishop
海外宣教
英国聖公会宣教協会 (CMS)
イギリス海外福音伝道会 (SPG)
ミッション・トゥー・シーフェアラーズ (MTS)
女性聖職者
同性結婚とLGBTの権利「:en:Same-sex marriage in the United Kingdom」も参照「:en:LGBT rights in the United Kingdom
同性結婚とLGBTについては、近年イングランド国教会内で議論が続いている。公式には「教会法では同性婚を司式することは禁止されている」が、「各地の教会では同性婚のあなたをサポートする祈りを受けることもできる」ともしている[16]。実際には、各地の教会で同性婚の司式が非公式に行われている[17]。
2014年にはジャスティン・ウェルビー大主教が「同性婚が英国の法律になった以上、それを認めなければならない」と言ったと伝えられた後、「彼は基本的に同性婚は反対である」という声明をランベス宮殿(ウェルビー大主教公邸)が発表している[18]。
社会奉仕活動が望まれています。
救世軍と類似した社会奉仕団体「チャーチ・アーミー」(教会軍)を組織し、運用している。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ のちの時代の聖公会においては、ブリテン諸島ではローマ・カトリックより前から独自のキリスト教文化があったとして、ケルト系キリスト教にアイデンティティーを見出す動きが一部に見られ、近代に建てられた各国の聖公会の聖堂や墓碑などにも、ケルト十字が好んで用いられるという傾向もある[7]
^ 神学者・聖職者のセオフィルス・リンジー(英語版)はエセックス・ストリート教会(英語版)を建立した。1928年にはユニテリアン及び自由キリスト教会総会(英語版)の本部となる。
^ ピューリタンのブラトル・ストリート教会(英語版) は後にユニテタリアンの教会となる。
出典^ 福和伸夫 (2020年7月13日). “大航海の時代、日本では大地震が頻発する中、3英傑が天下統一を果たす”. Yahoo!ニュース. 2020年10月20日閲覧。