イギリス(連合王国)史を通して、イングランド人は人口・政治的発言力に関して支配的であった。このため、「イングランド人らしさ」と「イギリス人らしさ」の概念はしばしば重なった。同時に、1707年の連合の後は、イングランド人は、ブリテン諸島の他の民族と同様に、それぞれの構成国民ではなくイギリス国民として自己認識することが推奨された[49]。 ノルマン・コンクエスト以後、イングランドの征服が成功したことはなく、それ以前から大規模な移住もされていないが、それでもイングランドは17世紀以降様々な時代において、大小の移民の行き先となっている。これらの人々の中には独立した民族アイデンティティを保持している者も、イングランド人に同化したり民族間結婚をしたりした者もいる。オリバー・クロムウェルのユダヤ人再植民(1656年)以来、19世紀にはロシア帝国から、20世紀にはドイツからユダヤ人移民も押し寄せてきた[50]。フランス王ルイ14世がフォンテーヌブローの勅令によってプロテスタントを非合法化すると、プロテスタントのユグノーが推定5万人イングランドへ逃亡した[51]。アイルランド島からの一定の、ときには大規模な移民のため、最近の推算ではイギリス人のうちおよそ600万人について、アイルランド生まれの祖父母がいるという結果が出た[52]。 奴隷貿易によってイングランドには少なくとも16世紀ごろから黒人がいた。また19世紀半ばより、イギリス領インド帝国があったため、インド人もいた[53]。この移民の一つの結果として、ブリクストン暴動やブラッドフォード暴動など、民族間の緊張や遺恨による事件が起こり、また少なからぬ人種間結婚もあった。2001年の国勢調査では、イングランドの総人口のうち31%が自らを混血 (Mixed) であると答えている[54]。また、2007年、サンデー・タイムズは混血の人々が2020年までにイギリスで最も大きな少数民族になると報じた[53]。 1990年後半には、イングランドの国民アイデンティティ (English national identity
近年の移民
イングリッシュ・ナショナリズムの復活
2005年に設立されたイングランド協会 (The England Society) は、イングランド人らしさを政治的・宗教的概念ではなく文化的・市民的な考え方としてアピールしている。イングランド協会は、主にweb中心の多くのキャンペーンを展開しており、2008年10月の時点でおよそ800人の登録会員を有している。
イングリッシュ・ナショナリズム (English nationalism) 活動の結果は様々である。世論調査に寄れば、イングランド分権議会はウェールズ・スコットランドのナショナリストに加えて、イングランド居住者の3分の2からも支持されているという[56][57][58]。だがこれとは逆に、イングランド民主党 (English Democrats、イングランドのナショナリスト政党) は2005年のイギリス総選挙で14,506票しか得票できなかった。 古来より、イングランド人はイングランドを離れ、ブリテン諸島外に定住してきた。だがこの移住者の数を特定することは不可能である。なぜなら、イギリスと国勢調査では回答者に対して自らが「イギリス人」とする回答を求めなかったからだ[59]。しかしながら、国勢調査には出生地の記録があり、スコットランドの総人口のうち8.08%[60]、北アイルランドの3.66%[61]、ウェールズの20%がイングランド生まれだと回答している[62]。同様に、アイルランドの国勢調査も民族性についての情報は集めていないが、アイルランド居住者のうち20万人以上がイングランド・ウェールズで生まれたと記録されている。 ⇒[6] イングランド人の移民およびイングランド民族起源のコミュニティは世界中に存在し、場所によってはかなりの人数が定住している。イングランドの植民者・移民を祖先に持つ人々が多数存在しているのは、 アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアそしてニュージーランドである。
地理的分散
イングランド人の国外移住