ノルマン人の同化にもかかわらず、公的な文書における英語とフランス語の区別は、日常の用法から退場した後も長く続いた。特に「イングランド人の証明 (Presentment of Englishry)」という法律用語が典型的である(ハンドレッド【Hundred イングランドなどで以前用いられていた行政区画】内で見つかった身元不明の他殺体を、ノルマン人ではなくイングランド人と証明しなければハンドレッドに罰金がかかるという規定)。この規定は1340年に撤廃された[46]。
イングランドとイギリスSt George's Cross
(イングランド王国)St Andrew's Cross
(スコットランド王国)Great Britain
(グレートブリテン王国)St Patrick's Cross
(アイルランド王国)United Kingdom
(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)
16世紀から、イングランドはブリテン諸島全域をカバーするより広い国家、すなわち現在でいうイギリス(連合王国)の一部となった。ウェールズは1535年から1542年のウェールズ併合法 (Laws in Wales Acts 1535?1542) によってイングランドに併合された[47]。スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世となり(王冠連合)、ブリテンの王と呼ばれたいと表明したことをきっかけに、新しいイギリス人としてのアイデンティティが確立されていった[48]。1707年、スコットランド議会・イングランド議会双方での連合法の可決をもって、イングランドとスコットランドとの連合が組まれ、グレートブリテン王国が創設された。1801年、新たな連合法によって、グレートブリテン王国とアイルランドの連合が組まれ、グレートブリテン及びアイルランド連合王国が創設された。1922年、アイルランドの総人口の3分の2ほど(アイルランド32郡のうち26郡の居住者)が連合王国を脱してアイルランド自由国を設立し、残った領土が現在のグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)を形成した。
イギリス(連合王国)史を通して、イングランド人は人口・政治的発言力に関して支配的であった。このため、「イングランド人らしさ」と「イギリス人らしさ」の概念はしばしば重なった。同時に、1707年の連合の後は、イングランド人は、ブリテン諸島の他の民族と同様に、それぞれの構成国民ではなくイギリス国民として自己認識することが推奨された[49]。 ノルマン・コンクエスト以後、イングランドの征服が成功したことはなく、それ以前から大規模な移住もされていないが、それでもイングランドは17世紀以降様々な時代において、大小の移民の行き先となっている。これらの人々の中には独立した民族アイデンティティを保持している者も、イングランド人に同化したり民族間結婚をしたりした者もいる。オリバー・クロムウェルのユダヤ人再植民(1656年)以来、19世紀にはロシア帝国から、20世紀にはドイツからユダヤ人移民も押し寄せてきた[50]。フランス王ルイ14世がフォンテーヌブローの勅令によってプロテスタントを非合法化すると、プロテスタントのユグノーが推定5万人イングランドへ逃亡した[51]。アイルランド島からの一定の、ときには大規模な移民のため、最近の推算ではイギリス人のうちおよそ600万人について、アイルランド生まれの祖父母がいるという結果が出た[52]。 奴隷貿易によってイングランドには少なくとも16世紀ごろから黒人がいた。また19世紀半ばより、イギリス領インド帝国があったため、インド人もいた[53]。この移民の一つの結果として、ブリクストン暴動やブラッドフォード暴動など、民族間の緊張や遺恨による事件が起こり、また少なからぬ人種間結婚もあった。2001年の国勢調査では、イングランドの総人口のうち31%が自らを混血 (Mixed) であると答えている[54]。また、2007年、サンデー・タイムズは混血の人々が2020年までにイギリスで最も大きな少数民族になると報じた[53]。 1990年後半には、イングランドの国民アイデンティティ (English national identity
近年の移民
イングリッシュ・ナショナリズムの復活
2005年に設立されたイングランド協会 (The England Society) は、イングランド人らしさを政治的・宗教的概念ではなく文化的・市民的な考え方としてアピールしている。イングランド協会は、主にweb中心の多くのキャンペーンを展開しており、2008年10月の時点でおよそ800人の登録会員を有している。
イングリッシュ・ナショナリズム (English nationalism) 活動の結果は様々である。世論調査に寄れば、イングランド分権議会はウェールズ・スコットランドのナショナリストに加えて、イングランド居住者の3分の2からも支持されているという[56][57][58]。