イリノイ州
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現在のイリノイ州南部にあったミシシッピ文化の都市カホキアは西暦1300年から1400年にかけて人口が4万人近くいたと言われ、当時さらには1790年までアメリカ合衆国の中で最大の都市だった(1790年にニューヨーク市の人口が4万人を超えた)。カホキアの地は次第に廃れていき、アメリカ独立のときはわずか2,000人ほどのインディアンと少数のフランス人開拓者がいただけだった[7]。1810年代にケンタッキー州から移民開拓者が到着し始め、1818年には州に昇格した。シカゴはシカゴ川の岸で、ミシガン湖南部の数少ない天然の良港の地に1830年代に設立された[8]。ジョン・ディアが籾殻を取る鉄製を発明したことで州中部の肥沃なプレーリーを世界で最も生産力があり貴重な農地に変え、これと鉄道が開通したことで、ドイツスウェーデン移民農業者を惹きつけることになった。

1900年までに北部の工業都市や中部および南部の炭鉱で働き口が増えたことで東ヨーロッパ南ヨーロッパからの移民も惹きつけた。その工業生産力で2度の世界大戦中は重要な兵器製造工場になった。南部の田園地帯からシカゴへ、アフリカ系アメリカ人の大移住が起こり、その大きく重要な社会が形成されて、ジャズブルースのような文化を創った。今日州内人口の74%は州の北東部隅、特にシカゴとその大都市圏に居住している。

イリノイ州から3人のアメリカ合衆国大統領が選ばれた。エイブラハム・リンカーンユリシーズ・グラントおよびバラク・オバマである。しかし、イリノイ州で生まれた大統領は、タンピコ生まれでディクソンで育ち、ユーレカ大学を出たロナルド・レーガンのみである。リンカーンは州都スプリングフィールドのオークリッジ墓地に埋葬されており、イリノイ州に埋葬されている唯一の大統領である。今日イリノイ州は「リンカーンの地 (Land of Lincoln)」という州の公式スローガンでリンカーンが残した遺産の重要さを強調しており、この言葉は車のナンバープレートにも表示されている[9]
名称の由来

「イリノイ」は、同州に先住したインディアン部族のイリニ族にフランス人宣教師や探検家がつけた名前を現代風に綴ったものである。この名前は昔の記録では様々な綴りがある[10]

「イリノイ」は、マイアミ・イリノイ語で伝統的に「男」あるいは「男達」を意味すると言われている。当初の「イリニウェク」("iliniwek")がフランス語を通じて「イリノワ」そして「イリノイ」(Illinois)に変わった[11][12]。iliniwekという名前は「優れた男達の部族」を意味すると言われることがある[13]が、これは民間語源にすぎない。より最近の学説では、"Illinois"がマイアミ・イリノイ語で「彼はいつものやり方で話す」あるいは「私は通常のやり方で話す」という意味の「イレンウェ・ワ」("irenwe・wa")あるいは「ニ(ン)テリンウェ・」("ni(n)terinwe・")から由来するとする。これがオジブウェー語のおそらくオタワ方言に取り入れられ、「イリンウェ・」("ilinwe・")と変化し、複数格では「イリンウェ・ク」("ilinwe・k")とになり、それが彼らと接触したフランス人によってアルファベット表記された際、語尾の/we/が"-ois"と表された。現在の形態"Illinois"は1670年代初期に現れた。イリノイ族の名前自体はフランス人宣教時代のイリノイ語辞書3つの全てでイノカ(Inoka)とされているが、意味不明で他の言葉との関連も無い[14][15]
歴史主要記事:イリノイ州の歴史
地理主要記事:イリノイ州の地理参照:イリノイ州の郡一覧シカゴ、イリノイ州でも中西部でも最大、全米でも第3の都市。全米で2番目に高い超高層ビルであるウィリス・タワーから見た市街地イリノイ州の主要都市と道路

イリノイ州の北東部境界はミシガン湖である。インディアナ州との東部境界はウォバッシュ川の南西部、並びにインディアナ州ビンセンズ(Vincennes)から北に伸ばした線すなわち西経87度30分の経線となっている。ウィスコンシン州との北部境界は北緯42度30分線とされている。ミズーリ州及びアイオワ州との西部境界はミシシッピ川である。ケンタッキー州との南部境界はオハイオ川の北岸にそって走っている[16]。イリノイ州はミシガン州とも隣接しているが、ミシガン湖の水境界となっている[17]

イリノイ州は全体が内陸平原(Interior Plains)内に位置しているが、3つの主要な地理的区分がされている。初めに、シカゴ市(2020年国勢調査時点での市域人口2,746,388人[18])、その郊外、並びに都市圏が拡大した隣接する準郊外の地域を含むシカゴ大都市圏MSA人口9,618,502人、CSA人口9,986,960人[18])が大半を占めるイリノイ州北部である。この地域は州間高速道路80号線及び同90号線沿いにあり、連邦政府の定義では、インディアナ州及びウィスコンシン州内のいくつかの郡を含み、アイオワ州境方向のイリノイ州北東部まで延びている。この地域は国際都市となり、人口密度が高く、工業化が進み、多様な民族が住んでいる。第4の都市圏で州内第5位の都市であるロックフォードは州間高速道路39号線と同90号線沿いにあり、シカゴの北西75マイル (120km) ほどの位置にある。シカゴの含まれるクック郡は2020年国勢調査時点での人口5,275,541人[18]を数える、イリノイ州内で最も人口の多い郡であり、全米でもカリフォルニア州ロサンゼルス郡に次いで2番目に多い。

2番目の大きな区分はイリノイ州中部であり、南方と西方に広がり、大半はプレーリーである。イリノイ州のハート(心臓部)とも呼ばれ、小さな町と中程度の大きさの都市があることが特徴である。その西側(イリノイ川の西岸)は当初、米英戦争退役軍人用地の一部であり、イリノイ州の形状を西に出っ張らせることになっている。特にトウモロコシ大豆を主産品とする農業が盛んであり、教育機関や製造業が集まっている。主要都市としては、人口約40万人[18]と州内第3位の都市圏の中核都市ピオリア、州都スプリングフィールドクインシーディケーターブルーミントンノーマル都市圏、シャンペーンアーバナ都市圏がある[17]。クアッド・シティズ(正式名称:ダベンポート・モリーン・ロックアイランド都市圏)は2020年時点で人口384,324人[18]であり、シカゴとほぼ同じ経線に位置する。これらの都市は経済、政治および文化の結び付きが強いのでイリノイ州中部に含められることがある。この人口で実際には州内第3位の都市圏となるはずだが、イリノイ州とアイオワ州の2つの州に跨っているので、都市圏の州内順位には含められていない。

3つ目の大きな区分はイリノイ州南部であり、アメリカ国道50号線より南、ミシシッピ川とオハイオ川の合流点に近いリトル・エジプトを含んでいる。この地域は、暖かい気候、異なる農作物(過去には綿花を生産していた)、岩の多い地勢(南端部はイリノイ期とそれ以前に残っていた氷河の作用を受けていない)、さらには小規模な石油埋蔵量と石炭炭田などで他の2地域とは異なっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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