一方で教育には注力されており、人間開発指数は0.800で高い分類に入る。科学技術力においても、ナノテクノロジーのような材料工学や幹細胞研究で世界トップクラスの位置にいる[12]。 パフラヴィー朝時代にはアメリカ合衆国の強い影響下にあったが、革命により米国との関係が悪化、特にアメリカ大使館人質事件以降、公然たる敵対関係に入った。米国とは互いをテロ組織・テロ支援国家に指定している[13][8]。他方でイラン革命指導者は反共主義者が多いため、ソビエト連邦とも友好的ではなく、革命後の外交は排外主義的な非同盟中立路線を基本とする[8]。近年は核兵器開発を行っている疑惑から経済制裁を受けている。2015年にオバマ政権下のアメリカと核合意を締結して制裁解除を取り付けたが、トランプ政権が一方的に破棄し制裁が再開されたため、段階的に核合意履行停止を進めている[14]。 パフラヴィー朝時代にアメリカからの経済援助を元手に経済各分野の近代化を進め、一時は高度経済成長を成し遂げた。その後の低迷によるイラン革命の混乱とイラン・イラク戦争で経済は停滞したが、21世紀に入ると原油価格昂騰により収入を大幅に増やした[15]。世界有数の石油の産出地であり、それが国の主要財源である[6]。しかし近年は長引く米国の制裁と新型コロナウイルスのパンデミックにより経済状態が深刻化している[16]。 イランは王政時代からの伝統を持つ国軍と別に、革命後に創設されたイスラム革命防衛隊という最高指導者直轄の軍事組織が存在することが特徴である[17][18]。イスラム革命防衛隊は、国外の対外工作にも深くかかわり[19]、アメリカ合衆国のトランプ政権から「テロ組織」に指定された[20]。男性に2年の兵役を課す徴兵制を採用しており[21]、兵力は61万人ほどである(2020年時)[22]。 2017年の国勢調査によると人口は約8000万人で、世界でも17位であった。多くの民族と言語が存在する多文化国家であり、主要な民族の構成はペルシア人 (61%)、アゼルバイジャン人 (15%)、クルド人 (10%)、ロル族 (6%) である。宗教は99%がイスラム教徒でその大部分 (89%) がシーア派である。トルクメン人・バルーチ人・クルド人など10%がスンニ派を信仰している。極めて少数派としてユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教・バハイ教の教徒もいるが、バハイ教は非合法にされている[8]。言語はペルシア語が公用語で大半を占めているが、他にクルド語やアゼルバイジャン語などがある[6]。国教はシーア派十二イマーム派である。 総面積は1,648,195 km2 (平方キロメートル) で、中東で2番目に大きく、世界では17位である。北部を東西にアルボルズ山脈が、北西部から南東部にザーグロス山脈が走り、その間にイラン高原が広がる。国土のほとんどがイラン高原上にある[8]。同国はユーラシアの中心に位置し、ホルムズ海峡に面するため、地政学的に重要な場所にある。首都であるテヘランは同国の最大都市であり、経済と文化の中心地でもある。イランには文化的な遺産が多く存在し、ユネスコの世界遺産には22個登録されている。これはアジアでは3番目、世界では11番目に多い。 イラン人自身は古くから国の名を「アーリア人の国」を意味する「イラン」と呼んできたが、西洋では古代よりファールス州の古名「パールス」にちなみ「ペルシア」として知られていた。1935年3月21日、レザー・シャーは諸外国に対して公式文書に本来の「イラン」という語を用いるよう要請し、正式に「イラン」に改められたものの混乱が見られた。1959年、研究者らの主張によりモハンマド・レザー・シャーがイランとペルシアは代替可能な名称と定めた。その後1979年のイラン・イスラーム革命によってイスラーム共和制が樹立されると、国制の名としてイスラーム共和国の名を用いる一方、国名はイランと定められた。 現在の正式名称はペルシア語で?????? ?????? ?????(Jomh?r?-ye Esl?m?-ye ?r?n [d?omhu???ije esl???mije ?i????n]
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国名詳細は「イランの国名(英語版
国旗詳細は「イランの国旗」を参照
国旗は3色で構成され、緑はイスラムの国であること、白は平和と平和愛好、赤は勇気を表している。中央のモチーフは4本の剣と三日月を用いてアラビア語のアッラー(????)とチューリップを象徴する。アッラーは、イスラムの唯一神で、チューリップはイスラムと祖国のために戦死した殉教者を表す。
歴史詳細は「イランの歴史」を参照
イランの歴史イランの歴史
イランの先史時代(英語版)
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ジーロフト文化(英語版)
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